池田直渡のクルマのパースペクティブ「第3回前編:リーマンショックの徹底反省が生んだトヨタ・TNGA改革のインサイド」

いまや世界トップを争う1千万台メーカーとしての地位を確立したトヨタ。20年前の生産台数は530万台ほどでした。そこから目覚ましい躍進を見せたトヨタを突如、リーマン・ショックが襲いました。無理を重ねていた生産ラインは、急速な市場のシュリンクに耐えられず、稼働率が大幅にダウン。トヨタに莫大な赤字をもたらしました。二度とそうした事態に陥らないことを誓ったトヨタが行った改革が、TNGA改革です。今回はその顛末をまとめてみました。

世界経済をどん底に叩き落としたリーマン・ショックで、天国から一転地獄を見ることになったトヨタは、企業体質の抜本的改革に挑みTNGA改革を推進した

▲TNGAによるクルマ作りの構造改革を全面的に採用した新型プリウスは2015年9月米国ラスベガスにて初公開 日本では同年10月に行われた東京モーター ショーに初出展され12月より発売開始 驚異的な低燃費性に加え低重心化による性能向上や静かでスムーズな走りが大きな話題となった
▲TNGAによるクルマ作りの構造改革を全面的に採用した新型プリウスは2015年9月米国ラスベガスにて初公開 日本では同年10月に行われた東京モーター ショーに初出展され12月より発売開始 驚異的な低燃費性に加え低重心化による性能向上や静かでスムーズな走りが大きな話題となった

 トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー(TNGA)は、実は単なるプラットフォーム群の名称ではない。トヨタという企業全体の強靭化を図る“事業改革すべてを含む概念”である。そのきっかけは、2008年に全世界を襲った未曾有の経済危機リーマン・ショックであった。

 90年代終盤から、トヨタは大躍進を遂げていた。表をご覧いただけば一目瞭然。99年には528万9000台だったグローバル生産台数を、07年までの8年間で936万7000台まで引き上げた。19年のホンダのグローバル年間生産台数がおよそ520万台。99年時点のトヨタは、いまのホンダと同じくらいの規模だったのだ。

 この急成長期、8年間を通じての年平均増産数は約51万台。ピークの04年にはなんと77万2000台も積み増している。参考までに書けばスバルの年間グローバル生産台数が約100万台、マツダが150万台。断っておくが、これは年間の全生産数である。

 それらの数字とトヨタの毎年の伸びを比べてみると、いかに強烈な伸び具合かがわかる。2年ごとにスバルが丸一社分増えているようなものだ。

 ちなみにここで挙げる台数は、ダイハツと日野を合わせたトヨタグループの連結販売台数に中国生産分を加えたものだ。「トヨタは1000万台メーカー」といわれるのは、この数字がベースになっている。

 破竹の勢いで成長したトヨタはついに07年上半期の生産台数で、永らく世界トップに君臨してきたGMを史上初めて抜いて首位に躍り出た。ところがそこにリーマン・ショックが襲いかかったのだ。

 前号で解説したとおり、トヨタには世界に冠たるトヨタ生産方式(TPS)があり、その真髄は「売れた分だけ作る」ということである。

 本来であれば、リーマン・ショックによる需要の急激な落ち込みにこそ強みを発揮するはずであった。しかしながら、年平均で51万台もの増産を8年続けることは、トヨタすら狂わせることになっていたのである。

▲2011年策定のグローバルビジョンに基づきTNGAは2012年に初公表 プラットフォーム開発とチーフエンジニアの権限強化が盛り込まれた
▲2011年策定のグローバルビジョンに基づきTNGAは2012年に初公表 プラットフォーム開発とチーフエンジニアの権限強化が盛り込まれた

 この期間の前年対比率を見れば明らかなように、ほぼ毎年10%もの増産が行われていたわけで、自動車のような巨額の設備投資を要する産業の増産としては明らかに異常なペースであった。

 「売れた分だけ作る」というトヨタ自身の大原則より、目の前で売れていくクルマを何がなんでも生産することが優先されてしまった。自動車産業にとって、本来10%以上の増産を何年も続けるなどということは到底可能な話ではなかったのである。

 無理を可能にするためにトヨタはトヨタ生産方式の掟を破った。

 それは熟慮の末というよりも、眼前の現実に対する泥縄の対処であった。

 ワンロットを大きくし、フル稼働時の効率に特化してパラメーターを振ってしまった。さらにクルマの設計まで、性能より作りやすさを優先した。

 一例を挙げれば、スポット溶接のポイントを減らす設計競争などが行われて、製品の出来も落ちていく。

 しかしながらそうでもしないと、これほどの増産に次ぐ増産はできなかったともいえる。無理が祟って会社全体が高コスト体質になっていく。それがわかっていながら、どうすることもできなかった。

 それは普通に見ればトヨタの負の時代であり、ユーザーから見ればトヨタ製品の暗黒時代だった。

 それは揺るぎない事実なのだが、一方でこのとき無理に無理を重ねて1000万台にリーチしておかなければ、いまのトヨタがなかったのも事実だと思う。この無謀な背伸びがなければ、おそらくいまごろ700万台から800万台程度の規模で地道に成長を進めていたと思われる。もう一度同じ状況に陥ったとき、どうするべきかが、いまもってわからないほど、それは微妙な判断だったのである。

 トヨタがすごいのは、リーマン・ショックで失敗が明らかになった途端、即座に反応を示したことだ。それこそがTNGA改革のスタートである。

(中編へつづく)

【本稿はカー・アンド・ドライバー本誌2021年2月号掲載分をウェブ用に加筆修正したものです】

著者:池田直渡(いけだなおと)●1965年神奈川県生まれ。1988年ネコ・パブリッシング入社。2006年にビジネスニュースサイト編集長に就任。2008年に独立後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行うほか、YouTubeチャンネル「全部クルマのハナシ」を運営。コメント欄やSNSなどで見かけた気に入った質問には、noteで回答も行っている

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