大気圧鉄道博物館を訪ねた

交通評論家の岡並木さんのエッセイ。アンコール収録

圧縮空気を使って鉄道を走らせる

01a763acd63f119e83a8dfd16edf42c70d76d53e.jpgイラスト●那須盛之

 ロンドンから、西南西に300km。エクセターという街がある。デボン州の中心地。そこで列車を降り、タクシーで海岸沿いの小さな町、スタークロスに行った。

 去年できたばかりの小さな博物館を訪ねるためだった。海岸沿いの道路より、さらに海岸に近いところに鉄道が走っていて、その道路と鉄道との間に博物館はあった。150年前の2階建てのレンガ積みの建物が、そのまま博物館になっているのだ。"ザ・ブルネル・アトモスフェリック・レールウェー"と書いた看板が、レンガの外壁に描かれている。

 スチーブンソンの蒸気機関車ロケット号が、初めての旅客列車を引いて、リバプールとマンチェスターの間を走りだしたのは、1830年だった。まだ、機関車の馬力は弱かった。坂が急なところでは、地上に設置した蒸気機関で、ロープを使って、列車を引っ張り上げた。

 蒸気機関車よりもっと馬力のある鉄道として、19世紀の前半、アトモスフェリック・レールウェーの研究が行われた。

 アトモスフェリックは"大気圧の"という意味だ。そしてアトモスフェリック・レールウェーは、大気圧の差を動力に使う鉄道だ。つまり、真空が物を吸い込む力や、圧縮空気が物を押し出す力を、動力として使う。

 いくつかの研究の中で、1839年にクレッグとサムダの2人が開発した方式が、実用化された。それは真空方式だった。2本のレールの間に、直径40~50cmの鉄のパイプを敷設する。パイプは完全な円筒ではなく、縦に1本、幅6~7cmのすきまがある。パイプを敷設するとき、すきまを真上に寝かせる。

 すきまには、革製のバルブが取り付けられ、パイプの中を真空にすると、バルブはすきまに吸いつけられ、固くすきまをふさぐ。パイプの中を真空にするのは、線路の沿線5~6㌔ごとに配置されるポンプ場の大きな蒸気ポンプだ。

 列車はパイプをまたぐ格好になる。列車は牽引車と数台の客車で編成。牽引車の車上には、係員の座席とブレーキがあるだけで、屋根も風防もない。床の下から棒が、パイプのバルブを通してパイプの中に入っている。棒にはパイプの内容に合ったピストンが取り付けられている。

 蒸気ポンプが動きだす。パイプの中の空気が抜かれる。これぞと思う真空状態になるのを確かめて、係員がブレーキを緩める。ピストンが吸われて前進し、列車は静かに走り始める。

  クレッグらの方式は、まず国内の2カ所で実用化されたが、最も大がかりだったのが、有名な鉄道技師ブルネルが手がけた南デボン鉄道会社の大気圧鉄道だった。  ボクが訪ねた博物館は、そのときのポンプ場のひとつだ。この鉄道は、1844年に工事開始、46年一部開業、47年にエクセターからスタークロスを通って約40kmが開業した。平均時速は102kmという素晴らしさで、坂道を登る力が強いことも証明された。

 しかし1948年9月、ブルネルは、この方式を失敗と認め、全線を蒸気列車に切り替えることにした。失敗の最大の原因は、当時、ゴムがまだなく、バルブに革を使わざるを得なかったからだ。雨と日差しで、革の劣化が激しく、補修をしてもすぐ空気が漏れてしまった。野ネズミに革を食べられる被害も大きかった。

 パリの郊外では、バルブに改良を加えて十数年間、この方式で列車を走らせていた例もあるし、ロンドン市内やニューヨーク市内で、その後も人を乗せた実験が行われたが、当時のバルブの限界は克服できなかった。

 スタークロスの博物館には、南デボン鉄道が使ったパイプの実物や、家庭用の電気掃除機の吸引力を使って走る大気圧鉄道の模型がある。ボクも乗った。いとも軽く音もなく、約15㍍の線路を往復した。博物館は、フォレスターさんという元テレビ局の電気技師が個人で経営している。数年前、イギリス国鉄がこのポンプ場を壊そうとしていると聞いて買い取り、テレビ局を辞めて博物館を作ることにした。 「なぜ、大気圧鉄道の博物館を?」。「忘れられようとしている技術の歴史を残したかったのです」とフォレスターさんはいう。

 大気圧鉄道には、いまの鉄道にないよさがある。たとえば、軽く作れて、静かな点だ。 「新しいバルブ技術で、大気圧鉄道は21世紀に甦るんじゃないですか?」というと、「いやコストが高くつくから、無理ですよ」 「ブラジルでは4kmの営業路線を建設してますよ。コストは電車より安いそうです」。「えっ、本当ですか」と、フォレスターさんは驚いた。

 ボクはスタークロスに行くまで、大気圧鉄道が本当に走っていたのか、半信半疑だった。フォレスターさんは、ボクに会うまで、新しい大気圧鉄道が甦ろうとしている事実を知らなかった。情報の盲点はまだまだあるんだなと思った。

 名コラムニスト、岡並木さんのアンコール・エッセイをお届けしました。(1985年8月26日号原文掲載)

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