キャデラックといえば、アメリカを代表するプレミアムブランド。最近はスポーツ性能を高めたCTシリーズ・セダンと、SUVのXTシリーズを中心としたラインアップだが、かつてはアメリカンドリームを象徴する華やかな車種展開で「豊かな米国」を体現した。キャデラックを創設したヘンリー・マーチン・リーランドの人物像と、エンブレム「キャデラック・クレスト」に込められた意味を紹介する。
米国の自動車黎明期、デトロイトで創業
▲ヘンリー・マーチン・リーランドは1902年にキャデラックを創設
ヘンリー・マーチン・リーランド(1843〜1932年)は、米国バーモント州に生まれた。若いときに銃メーカーなどで仕事を重ね、精密機械の知識と部品の規格統一の重要性を学んだ。1890年、リーランドはデトロイトに進出。特殊工具の会社を興し、ランサム・E・オールズ(オールズモビル)とも取り引きがあった。
リーランドは1902年、自動車王ヘンリー・フォードが設立したヘンリー・フォード・カンパニー(現在のフォードとは別会社)の管財人に就任。この会社をキャデラック・モーター・カンパニーに改組した。
キャデラックは誕生してから実に豊富な話題を提供してくれるが、このブランドが誕生する歴史もまた興味津々である。歴史の本には、冒頭にこう書かれている。「キャデラックはまことにプリミティブなシングル・シリンダーのタイプAから始まって、いまやプレジデントたちにピッタリのクルマへと発展した」と。
▲1903年キャデラック・モデルAランナバウト キャデラックといえば「シングル・シリンダー」(単気筒・1.6リッター)で知られた
『純金のキャデラック』というアメリカ映画が封切られたことがある。クルマの名前がずばり映画の題名になるのは余り例がないから、クルマ好きの人はご存じかもしれない(編集部注:原稿執筆は1980年代)。1956年コロムビア作品で、主演女優はジュディ・ホリディ、相手の男優はポール・ダグラスだった。
筋書きはこうだ。ジュディは会社のCMガールだが、たまたま、会社の株を少しばかり持っていたことから、社内の幹部たちのゴタゴタに首をつっこみ、持ち前の正義感で悪徳重役どもをやっつけ、干されていた善玉の前社長ポールをカムバックさせるというコメディーだった。
結局、ジュディとポールは結ばれてめでたしめでたしとなるが、その結婚祝いに贈られたのがキャデラックである。しかも純金製だったのだ。当時の映画はまだ白黒の時代だったが、最後のシーンだけがパート・カラーでピッカピカの黄金のキャデラックが画面いっぱいに映し出されて、お客さんは大喜びだった。
純金キャデラックの登場は夢のようなハッピー・エンドをいやがうえにも盛りあげる凝った演出で、観客席を大いに沸かせたものだった。このエピソードでも想像できるようにキャデラックは昔もいまも、アメリカはもちろん世界の高級車として君臨している。
米国大統領はじめVIPに愛されたクルマ
▲1907年キャデラック・モデルG1に乗るウィリアム・タフト大統領(任期1909〜13年/後部座席の向かって右側の人物)
ところで、1979年の東京サミット、世界首脳会議が東京で開催されたとき、日本外務省は6台のキャデラックを接待用に買いつけて話題をまいた。
世界の首脳のために用意されたキャデラックはいずれも特別製。うち5台はフリートウッド・ブロアムで、もう1台がフォーマル・リムジンだった。キャデラックは世界のVIPが乗るにふさわしいクルマなのである。
日本の天皇家にも、もちろん納められているそうだが、ずいぶんと旧型で、公式にはもう使われていないとは残念なことだ。それにしても、いま(1980年)の日本にはざっと5000台のキャデラックが走っており、サミット前年には800台余りが売られ、いまや日本は世界でも有数の顧客とされている。
▲1919年キャデラック・タイプ57リムジンで帽子を振りながらパレードするウッドロー・ウィルソン大統領(任期1913〜21年)
エンブレムに輝く栄光
とくにクルマ好きにとってたまらないのは、そのエンブレムの美しさと優雅さではないだろうか。
キャデラックの名は、自動車の街として知られるデトロイトに、はじめて羊毛の取引市場を開いたフランス将校、アントワーヌ・ド・ラ・モテ・キャデラックにちなんで名づけられた。だから、エンブレムはド・ラ・モテ・キャデラック家の紋章で、9つの宝石を散りばめた宝冠がついている。
▲キャデラックのエンブレムの変遷 いつの時代もド・ラ・モテ家の紋章を取り入れている
1930年当時、ボンネットに付けられていたというカー・マスコットは優雅なアオサギの姿をかたどっていた。鳥は首を伸ばし、羽根を上にひろげていたという。やがて、その形は風に向かって体を前に倒した女神の姿に変わり、両腕を後ろにそらし、プラスチックの長いスカーフを風になびかせる魅力的な小像になり、V8、V12気筒のクルマに付けられたとか。40年代にはもっと彫刻的になり、クロームメッキで20cmほどのカー・マスコットになった。収集家にとって、ノドから手が出るような逸品なのである。