インテリジェンスと社会的地位を象徴する美しいカー・マスコット物語
R―R40/50、シルバーゴーストは1925年まで生産され、次代のニューファントム、ファントム2、ファントム3に席をゆずる。
第2次大戦後には、1971年4月にロールス・ロイス社は国有化される。ロールス・ロイスとベントレーを生産していた自動車部門は、73年に別会社(ロールス・ロイス・モーターズ)として軍需企業のヴィッカーズ社の傘下に入った。ロールス・ロイス・モーターズは92年からBMWと提携を開始。2003年にはBMWがロールス・ロイス車の製造販売を行うようになった(ベントレーはVWグループ入り)。
▲1933年ロールス・ロイス・ファントム2 7668ccの直6エンジンを搭載 40/50シリーズの後継モデルで1929年〜35年にかけて生産された トランスミッションは4MT
R―R40/50型シルバーゴーストで驚くのは、大きなスペアタイヤが、ボディサイドに、これ見よがしに据えられていることだ。当時はそれほど道路が悪かったという証拠だろうし、かのロレンスも砂漠の中で、一生乗れるだけのスペアタイヤ付きR―Rを要求したと伝えられる。
▲1964年の映画『黄色いロールス・ロイス』は1931年のファントム2が登場するオムニバス映画 オマル・シャリーフ(左)とイングリッド・バーグマン(右)が第3話に出演
そして、素晴らしいのはボンネットに輝くブロンズ像の美しさだ。物の本によれば、R―Rのカー・マスコット「恍惚の妖精」は、1911年、当時の著名なアーチストであり彫刻家であったチャールズ・サイクスによってデザインされたという。原型はクロムメッキのブロンズ像で、高さ17.5cmだった。
カー・マスコットは、もともとクルマの持ち主が自分の好みに応じて「所有」を誇示するところから生まれたのもので、あるオーナーは象牙製の妖精像を、また別のオーナーはステンレス・スチールで注文したとも資料にある。
▲現在のマスコットは収納できるようにデザインされている
また、彫刻家サイクスが好んで制作したカー・マスコットには、ベントレーのために作った、翼をもった「飛翔するB」という作品や、ファントム3のための「ひざまずく婦人」があるが、一般的にR―R車に飾られている「恍惚の妖精」は、風に向かう女性のスカーフが大きくふくらんで、鳥の翼に見まがう像になっているのが多い。
フランスのモンターギュ公2世が勧めて彫刻家サイクスに原型を考えさせたといわれ、少女がモデルである。サイクスは、「新鮮な大気への旅立ちと、はためく掛布のひだが奏でる音楽への旅を表現したものだ」と説明している。
▲彫刻家のチャールズ・サイクス(右)と娘さん
それにしても、カー・マスコットはオーナーの気持ちをくすぐる「地位の象徴」であろう。最近では、アメリカや中近東、そして富裕層の多い外国の市場向けに、R―R社もそれなりに強烈な色彩のマスコットを用意したり、ビニール製のファッション・マスコットもつけているという、しかも、伝統を別にするならば、金のマスコットも大いに結構、としているそうである。
R―Rのクルマが開発した技術の数々は、その名声とともに自動車産業の中に脈々と生きている。R―R40/50で使われた技術の中でエンジン冷却装置は、いまなお最新モデルに継承されているとも記録されるほどだ。
▲1952年ロールス・ロイス・シルバードーン
▲女王エリザベス2世のファントム6ステートリムジン
しかし、死や病気は、不世出のゴッドファーザーたちでも避けられない運命だった。1910年7月11日、ロールスはライト複葉機で飛行中、バーネマウスの上空で事故を起こして墜落死してしまう。生涯の同志だったロイスもまた、翌年、多年の過労とロールスの急死のショックで病に倒れ、以来、南仏リビエラの最南端にあるル・カナデルの別荘で病床の晩年をすごさなければならなかった。
シルバーゴーストをこの上なく愛したアラビアのロレンスも、1935年5月、オートバイ事故で激突死する。
偉人たちはみんな歴史の彼方へ去ってしまったのである。