アレック・イシゴニス物語第2回

外見は小さく、車内は広く。ミニのコンセプトは1958年に誕生した

 イシゴニス少年は、マルタ島で父を亡くす。スミルナの工場は破壊される。しかし、母親は陽気で気丈だった。少年は母に感謝しなければならないだろう。

 戦火をくぐって遺産をまとめた母親は、イシゴニスを実社会へ送り出す前に、10‌hpシンガーという自動車を買い求めると、母子二人で「ヨーロッパ大旅行」へ出かけたのであった。初めにパリを訪れ、リビエラからモンテカルロへ、さらにスイスまで回って、見聞を広めている。故障したクルマは、いくたびかイシゴニスが修理した。彼の後年の、自由で、しかも天才的な技術家としてのひらめきは、母親に負うところが大きい。

P90046001_highRes_mini-850-03-2009.jpg▲オースチン・セブン(写真) デビュー当初の価格は496ポンドだった

 イシゴニスは真面目に技術屋の卵として修業を積む。バターシー工業技術学校にいる間には、自動車技師協会の集会にも規則正しく出席する。やがて、学校を出て、協会秘書のブライアン・ロビンスに就職の世話を申し込んだとき、秘書が「求人」のカードの中から引きぬいて見せてくれたのが、自動車販売会社への就職斡旋だった。

 イシゴニスは、ヨーロッパの自動車社会へ第一歩を踏み出したのである。

 ミニの誕生には曲折がある。

 ミニは、1958年8月、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポーレーション)社のアレック・イシゴニスが作ったオースチン・セブン/モーリス・ミニ・マイナー(ADO15)が原点である。

 848cc直4OHVエンジンをフロントに横置きにし、ミッション、デフをエンジンの真下に組み込んだ、フロント・ドライブのクルマだった。

P90045997_highRes_the-original-mini-la.jpg▲ミニの広い室内をアピールする1枚 バックのコピーは「驚愕のオースチン・セブン」

 10インチサイズの小径タイヤを履いて、全長は約3m。まさに外見はあくまで小さく、反対に車内は広くという思想の4人乗りだった。当時の記者は語る。

「ミニはレオナルド・ダ・ヴィンチのような想像力に優れた一人の男の着想から生まれた。1年間は、しかし、乗るかそるかの瀬戸際でふらついていたものだ。しかし、このクルマは人々の支持をしだいに集め、レースやラリーのチャンピオン戦で勝利を収めていくうちに新しい英雄の誕生として認められていく。成功のまわりに多くの人びとが群がり、アクセサリーメーカーやチューニングアップ工場が栄え始める。やがてフーパー、ウッド、ピケットのようなロールス・ロイスのコーチワーカの目にもとまり、彼らはクルマを新しく装って2万㍀を上回る価格で売り出すのだった」と。

 約530万台のミニが生産され、40年以上にわたって販売され、変わらぬスタイリングの最長記録を樹立する。1961年10月にはミニ・クーパー、67年10月にはミニ1000、69年にはミニ・クラブマンと、バリエーションが次々と誕生した。

P0026022_02.jpg▲ミニの開発を主導したアレック・イシゴニスは1969年にナイトの称号を受ける クラシック・ミニは1959〜2000年にかけて通算約530万台を生産

 81年モデルから、スタイルを一新、ひとまわり大きくなり、現代的に「変身」したミニ・メトロが発表されたが、その基本的なメカニズムは従来のミニを受け継いでいた。もちろん、従来のミニは健在そのもの。ベルトーネのデザインによる近代的なボディのイタリア版ミニ、イノチェンティ・ミニも人気を集めていた。

 しかし、イシゴニスのミニは、「一日にして成った」のではない。彼はもちろん天才的な技師ではあったが、協力者や友人にも恵まれていた。自身は、職人気質で、当時の自動車社会を転々としたりもしたが、自分を讓ることのない哲学の持ち主でもあった。

P90045996_highRes_production-of-the-mi.jpg▲ミニの生産は当初ロングブリッジとオックスフォードで行われた 1969年からはすべての生産がロングブリッジ工場に集約されている

「ミニの着想は、元来、レオナード・ロード(1946年にオースチン社代表役員に就任)が早くから抱いていたものだ。1948年、レオナードは1万ポンドを費やして「ダンカン・ドラゴンフライ」と呼ばれる前輪駆動のプロトタイプを製作した。この製作は、実は2年前の1946年から始められ、ロイ・フェドンの対戦車用のプロジェクトにいた二人の男の協力によるもので、スタイリングはフランク・ハンブリン、メカニズムはアラン・ランバーンが担当した。しかし、このドラゴンフライはついに公表されずに終わった」という。つまり、イシゴニスの前を歩いていたパイオニアがいたのである。

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