小さく精巧な高性能車を作る──エンジニアの美学
ミニという小型車は、他のクルマと比べてどこが違うのだろうか、ボクはある自動車研究家にただしてみたことがある。答えはこうだった。
「ミニはイシゴニスの美学なのです。大きいことはいいことだ、という表現がかつてありました。それと同様に小さいことは素晴らしいという考え方があります。一般的にいって、同じ力を出すものなら、小さいほうがいいに決まっている、とくに科学技術は小さくするほど難しいのです。小さくて、精巧で、性能のいいものを作る、そうなると、これは美学です。現代では当たり前に受けとられますが、ミニが登場した当時は、いかに小さくするかに困難があった。手軽ということと、ミニとは明らかに違います。
▲ローバー・ミニ・クーパー(2000年) クラシック・ミニの最終モデル 2000年当時はクーパーとメイフェアの2グレードが輸入されていた ボディサイズは全長×全幅×全高3075×1440×1330mm エンジンは1.3リッター直4(MTは62ps/ATは53ps) 価格はクーパーの4MTが198万9000円/4ATは209万9000円
しかも、イシゴニスは生まれながらの技術屋だった。技術屋というものは、できるだけ無駄を省いて最小限の設備で最大効果を発揮するものを作り出すという思想を、いつも持ちつづけているわけです。イシゴニスは技術屋気質の第一人者であり、堅固な主張の表現としてミニを創ったのだと思います。
むろん、それまでにもFFの思想がなかったわけではありません。シトロエンもパナールも持ち合わせていましたが、イシゴニスの美学は、エンジンを横置きにする手法によって、フロント・ドライブの極致を作り上げたわけです。そこに注目したい。
▲オースチン・ミニ・モーク(1964〜89年) 軍用車として企画されたが一般ユースのレクリエーショナル車として定着
しかも、自動車は走る輸送機関、生活の道具であるばかりか、個性的な空間でもあることを、イシゴニスは予見したといえます。そうした意味で、現代でも若者を中心にミニは受けているのです」
FFのはじまりについては各説がある。けれども、決定的な説をひとつ紹介しておこう。
「1920年代の終わりごろ、すでに数社のメーカーがフロント・ドライブのクルマに挑戦している。たとえばフランス車トラクタ、イギリス車アルヴィス、数年後のドイツ車アドラー、アメリカ車コードといった面々だ。しかし、それらのクルマはアドラーがコマーシャルベースにのっただけで、その他はあまり振るわなかったといっていい。そうした状況を尻目に、シトロエンは1934年《トラクシオン・アヴァン》の製造に踏み切っているのである......」と。FFのはじまりはどうやらシトロエンに勝ち名乗りが上がりそうである。
▲写真左からミニ1275GT/ミニ1000/ミニ・クラブマン 両サイドのモデルは1969年のフェイスリフトで「クラブマン」(1969〜80年)と呼ばれた 1275GTはミニで唯一「GT」の名称を持つ
1959年に登場したミニ(当初はオースチン・セブン/モーリス・ミニ・マイナーと命名)は、イシゴニスが創造した傑作小型車で、1965年には、ミリオン・セラーに輝いた最初のイギリス車となった。ミニ全体ではもっと飛躍的だった。 2000年10月までに生産台数538万台を超える大記録を達成した。1959年のモーター・ショーにデビューして、200万台目のミニを売り上げた1969年6月19日は、記念すべき日としてギネスブックに記録されている。
▲ミニ・クラブマン・エステート(1969〜80年) モーリス・トラベラー/オースチン・カントリーマンの後継モデル
▲モーリス・ミニ・トラベラー(1960〜69年) リアセクションを飾るウッドトリムは戦前のシューティングブレークからの伝統
イシゴニスの思想について、もう一人の科学ジャーナリストは次のように分析する。
「例えば、地球が限られた宇宙だと考えるならば、人間一人当たりの体積というか空間は有効に使われなければならない。これは共存の思想でもあるわけだ。そういう点から、科学技術を考えると、集積回路(LSI)、超LSIの発明で、これまで部屋いっぱいの広さが必要だった電算機が、いまではテーブルに置けるぐらいに小さくなっている。小さいことはいいことの一例だ。ミニは共存の思想まで盛り込まれたモデルだった。イシゴニスの考え方を評価すれば、彼をレオナルド・ダ・ヴィンチとくらべても少しもおかしくない」
▲モーリス・ミニ・ピックアップ 1961年から83年にかけてトータル約5万8000台を生産 輸出実績もある
イシゴニスは、1964年、自動車産業につくした功績で大英帝国上級ナイトの勲章を受け、1969年にはナイトの称号をもらっている。イギリス王立協会の会員であり、「科学への貢献と功労」のゆえにレバヒューム賞も受けている。
それゆえに、彼は、サー・アレック・イシゴニスとサー付きで呼ばれた。そして、彼のミニは、7つの海を越えて大きく世界へはばたいたのである。