歩き速度と、クルマで街を移動するスピード。移動する速度が違うと、街の景観が違って見えてくる。
ゆっくり移動すると街のディテールが見えてくる
イラスト●那須盛之
この夏、フランスのリゾートの街、カンヌの海岸通りに、八台の輪タクが登場した。輪タクといってもわからない読者が多いかもしれない。戦後、タクシーの代わりに東京をはじめ日本の各都市で活躍、その後はインドネシアやマレーシアの民衆の日常生活になくてはならなくなった三輪自転車である。
カンヌに輪タクを持ち込んだのは、フランスの名門大学を出たばかりのジャンマルク・ダンクールという青年で、運転手には脚力に自信のある学生を雇った。このアイデアは成功で、バカンスの客たちが争って輪タクに乗った。
ところが数週間たって、強硬な反対の声が上がった。タクシー業者たちだった。「不正な競争だ」と怒りだしたのだ。つまり客を輪タクにとられた不満が爆発したのだ。彼らは二度にわたって、タクシーを道幅いっぱいに止めて、輪タクが走れないようにした。
タクシー組合の組合長、ジャンルイ・ニコライ氏は、人間の尊厳論まで持ち出し、「奴隷は禁じられている」といってカンヌの市長に輪タクの禁止を訴えた。人間を運ぶために、学生たちに労力を提供させているのは、奴隷扱いと同じだ、というのだ。
かつて、マニラやシンガポールで輪タクを禁止したのも、同じ考え方だった。自動車が普及する前に、日本の主要な乗り物だった人力車に対して、日本にもこんな見方をする「文化人」がいた。 「西欧は馬にクルマを曳かせたが、日本では人間にクルマを曳かせて平気でいる。これは日本の人権軽視の考え方を象徴している」
ところが実際は、人力車は日本よりも二百年も前、一六六八年にパリで生まれているのだ。パリの人力車は、ヨーロッパの辻かごに車輪を付け、一人で曳けるように改造したものだった。そのクルマの姿が酢売り商人のクルマ〝ビネグレット〟に似ているので、そのままビネグレットと呼ばれた。かなり普及し、街によっては日本と同じように二十世紀まで使われていた。
日本の「文化人」はそういう歴史を知らなかったのだ。
ビネグレットが歓迎された主な理由は二つあった。まず、かごより優れた点があったことだ。西洋の辻かごはきわめて重く、かごをかつぐのは大変な労働だった。人力車なら一人で曳けて、しかも疲れが少ない。
第二にビネグレットには、馬車より優れた点があった。車体が馬車より安く作れるうえ、人件費のほうが馬を維持するより安くついたからだ。ビネグレットを自家用に買い、召使に曳かせた金持ちも少なくなかった。
ダンクール君のカンヌの輪タクに話を戻すと、市長は「この新しい交通手段はカンヌの街に利益をもたらさない」と裁定し、輪タクが走ることも、道端に止まっていることも禁じてしまった。
ところが、ダンクール君は承服しなかった。客の評判がいいので市長の裁定を無視して営業を続けたばかりか、八月中旬には台数を二倍に増やし、市が妨害するなら県の行政裁判所に持ち込む、と頑張っている。
ところで、カンヌの輪タクは「ペディキャブ」、つまり足踏み式タクシーという名のアメリカからの輸入物だ。この輪タクがハワイのワイキキをはじめ、アメリカの街で活躍していることを、ご存じの読者も多いだろう。
ところで、輪タクが再び人々の心をとらえるようになった理由は何だろう。 速いスピードで走行中の自動車の窓から見る風景と、移動速度が遅く視界を妨げる窓枠がない輪タクで見る風景は、まったく異なった印象を受ける。そのことに、多くの人々が気づきはじめたのではないか。
輪タクに乗らなくても、歩いて街を行く。自転車で街を行く。自動車で街を行く。それぞれの場合で街の見え方が異なることに気づいている読者は多いだろう。 速度が遅い手段ほど、街のディテールが見えてくる。自動車が普及する前の街並みの一軒一軒の建築は、非常に細かな細工に、職人の腕の冴えがにじんでいた。
自動車時代とともに歩みを始めたモダニズム建築が、ディテールの細工を失い、ガラスやコンクリートののっぺらぼうな姿になってしまったのは、自動車の速度が、細工の細かさを鑑賞しながら街を行く楽しみにふさわしくなかったことと関係があるかもしれない。
徒歩や自転車や輪タクが好まれる時代が、またやってきたりすると、建築の様式ものっぺらぼうではいられなくなるだろう。
名コラムニスト、岡並木さんのアンコール・エッセイをお届けしました。 (1987年10月26日号原文掲載)