名コラムニスト、栗田亘さんのスカンジナビア紀行、その6。スウェーデンのストックホルムからデンマークのコペンハーゲンに移動。コペンハーゲンといえば、水の都市として知られる。運河をクルーズするツアーに参加し、デンマークの国民的作家、アンデルセンの「人魚姫の像」を鑑賞。ただ、クルーズ船からは、人魚姫の後ろ姿しか見えなかった......。
コペンハーゲンの名所見学
▲クルーズ船が発着するニューハウンの桟橋 手前の岸壁は記念撮影に絶好のスポット アンデルセンが住んでいたのは向かって右側の街並み 観光客相手の店は左側に多く物価はコペンハーゲンでいちばん高いという
スウェーデンの首都ストックホルムの別称は「水の都」。大小14の島の集まりだと前回、紹介した。
お隣の国デンマークの首都コペンハーゲンも、やはり「水の都」だ。この都市は、バルト海にある二つの島の上にある。
デンマークの面積は九州より少し広い程度。全国土のすべてで、海岸線から52キロ以上離れた場所は、ない。どこでも、それほど海が近い。
カモメは海の鳥だけれど、この国の鳥類図鑑では「野の鳥」に分類されているそうだ。
デンマーク女王マルグレーテ二世の行幸は、すべて王室専用ヨットが使われる。
山はない。高地もない。全国土が平らである。国内最高地点は、海抜わずか170メートルにすぎない。
北海から吹きこむ偏西風は、遮(さえぎ)るものがないため一気に駆け抜ける。雲はつぎつぎ流れ、天気はよく変わり、晴れていてもしばしば雨になる。雨が降っても傘を持たず、平気で濡れている人も珍しくない。
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ストックホルムから空路1時間とちょっと。コペンハーゲンに着いた翌日、ボクらのツアーは運河クルーズに出かけた。
クルーズの出発点は、ニューハウン(新しい港という意味)だ。1673年、バルト海に出入りする水路として掘削され、両岸は船乗りたちが飲んで騒ぐ歓楽街だった。
伝統を受け継ぎ、いまもコペンハーゲンでいちばん活発な街として知られる。赤や黄、青など色彩豊かな木造家屋が両岸に軒を連ね、デンマーク料理のレストランやピザ、スイーツの店などが並ぶ。
『裸の王様』『みにくいアヒルの子』などの作品で世界中の子供に親しまれてきたデンマークの国民的作家アンデルセン。彼はここが大好きで通算18年、運河沿いの建物に住んだ。
クルーズ船は150人乗りくらいだろうか。小さな埠頭を出てバルト海に出る手前で折り返す1時間余のコースだ。現地在住の日本人女性が、両岸につぎつぎに現れるビューポイントを説明してくれる。
たとえば巨大な紙を緩やかに反らせたような屋根を持つオペラハウス。前面にガラスを多用した超近代的なデザインで2005年に開場した。費用は、コンテナ船を中心に売上高世界有数を誇る海運コングロマリット、A・P・モラー・マースクが全額負担した。
オペラハウスと水路を隔てた対岸に、デンマーク王室の冬の王宮、アマリエンボー宮殿が見える。
たとえば400段の螺旋(らせん)階段がある救世主協会。ツアー一行の中には、船を下りたあとの自由時間に階段の登頂下山に挑んだ人もいたが、ボクと連れ合いは無謀な冒険は避けた。ネットのガイドには、こうありました。〈屋外にあるため吹きっさらし状態。さらに先端に近づくにつれ幅が狭まり、頂上には人が一人立つのが精一杯という環境。手すりも非常に低く、高所恐怖症の方には厳しいかもしれませんが、コペンハーゲンを一望できるトップクラスの景観ポイント〉
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クルーズの目玉は、海に出るすぐ手前にある「人魚姫の像」だ。
アンデルセンの名作をモチーフに、北欧を代表するビール、カールスベア(カールスバーグ)の当時の社長がスポンサーになって1913年に作られた。
社長がインスパイアされたのは、王立劇場でバレエ『人魚姫』のプリマを務めたエレン・プライス。しかし彼女が彫刻家エドワード・エッセンのヌードモデルになるのを拒否したため、やむなく彫刻家の妻がモデルになったと伝えられる。
岩に座った人魚姫の像は高さ約80センチ。2018年現在で105歳だが、実は何度か無残な被害に遭っている。落書きされたりペンキをかけられたりしたことが7回。しかも1964年以来3度、首を切り落とされた。美しさに魅せられた犯行だろうか。
と記したけれど、ボクは人魚の顔を見てはいない。渚の像の顔は、陸のほうを向いていて、クルーズ船からは確認できないのだ。でも、後ろ姿も十分魅力的だった。像があんまり小さいせいもあって「世界三大がっかり」の一つ、なんて囃(はや)されるが、それは違うとボクは思う(あとの二つはシンガポールのマーライオン像とブリュッセルの小便小僧)。
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帰国してから、ボクはアンデルセンの作品をいくつか読み返してみた。絵本ではなく新潮文庫や岩波文庫だから、子供の頃の記憶とは、印象がたいへんに違った。
海の底で両親や祖母らとしあわせに暮らしている人魚姉妹の末娘が、15歳になって初めて波の上まで泳ぎ上がるのを許されたとき、難破した王子を助け、恋に陥る。しかし恋は実らず、最後は死を選ばされる。
それが『人魚姫』のあらすじだが、原作では人間の身勝手さと、弱い立場の人魚の悲しみが、ぎりぎりまで書き込まれていて、大人歴50年以上のボクでさえ胸が痛くなる。童話の形をとりながら、アンデルセンは、昔は少年少女だった大人に向けて、作品を綴(つづ)ったのだ。
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『裸の王様』という表現は、「社長は威張ってるけど、裸の王様だ」などと現代社会でも使われる。巧みなストーリーと、それにもましてタイトルが的確だとボクは思っていた。
でも、ボクが読み返した文庫本では、タイトルが『皇帝の新しい服』あるいは『皇帝の新しい着物』となっている。これが原題なのだ。
ボクらが知っている『裸の王様』とは、誰が付けたのか。
調べてみると明治時代、日本で初めて翻訳されたときは『不思議の新衣裳』。以後も同じようなタイトルが続き、1908(明治41)年になって初めて『裸の王様』(木村小舟(しょうしゅう)訳)が登場する。それが次第に、とくに子供向けの本で定着した。
付け加えれば、ストーリーはアンデルセンの創作ではない。1335年刊行のスペインの寓話集に収められた話を彼が翻案し、1837年に発表したものだった。
ではあるが、500年前(日本でいえば室町時代)の異国の短編を見事によみがえらせたアンデルセン(日本の江戸時代の人)の腕前には、敬服するほかはない。
▲︎観光バスがつぎつぎに訪れる人魚像 干潮時に限りすぐそばまで近づける 彼女はほかの人魚と違って足首から先だけが魚だ 原作では魔法で人間になるのでそれを表現したのだろうか 2010年の上海万国博のとき展示のため初めてコペンハーゲンを留守にした
▲デンマーク王国:約4万3000㎢の国土に約578万人(兵庫県とほぼ同じ、2018年データ)が暮らす。首都はコペンハーゲン。1945年第2次世界大戦終結とともに、ドイツの占領から解放された。1949年、NATO加盟。EUは未加盟。立憲君主制で元首はマルグレーテ2世女王。議会は一院制(外務省データのデータから)