【サマーバカンス特集】ノーベル賞受賞晩餐会会場を見聞/スカンジナビア5

栗田亘さんのスカンジナビア旅行記、その5。ノルウェーのベルゲンから、スウェーデンのストックホルムに移動。ストックホルムはノーベル賞の記念晩餐会と記念舞踏会が行われることで有名。その会場となるストックホルム市庁舎の「青の間」がどのよう作りになっているのか。実際に取材してわかった意外な事実を紹介。

晩餐界と舞踏会はストックホルム支庁舎で開催

ノーベル賞の受賞の間.jpg▲ノーベル賞受賞者たちが参加する記念舞踏会が催されるストックホルム市庁舎の「黄金の間」 突き当たりの大壁画の女神は当初「女性か男性かわからない」と不評だったという

「先進5カ国には『教授』と呼ばれる人が約34万人いて、毎年10人くらいノーベル賞をもらうとすると、確率は3万4千分の1くらい。ゴルフでホールインワンになるのは2万何千回に1回と言われるので、ノーベル賞のほうが難しい」

 ノーベル医学生理学賞の授賞式出席のためスウェーデンの首都ストックホルムに滞在していた本庶佑・京都大特別教授は、記者会見で「ノーベル賞を受賞する確率」に触れ、大好きなゴルフを引き合いに、このように語ったそうだ。記者から「ホールインワンの経験は?」と問われると「それはグッドクエスチョンや。当然ボクはホールインワンやってます」と笑みを浮かべて答えた。

 ホールインワンよりノーベル賞受賞のほうが難しいだろうと、たぶん誰でも、何となくわかる。しかし本庶さんはジョークを交えつつ「確率」を持ち出して「証明」してみせる。そこも凡人(ボクが代表)とは違うのだろう。

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 ノルウェーのベルゲンからスカンジナビア航空機で1時間20分。ボクはストックホルムに着いた。空港からツアーバスで、その日のうちに訪れたのは、メーラレン湖に面したストックホルム市庁舎である。ノーベル賞の記念晩餐会と記念舞踏会が、ここで催される。

 1909年から1923年にかけて建設された。ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿(総督館)を意識し、ヨーロッパ各地の名建築からもヒントを得た折衷的なデザイン。名建築との評価が高い。ちなみにノーベル賞の授賞式は、市内のストックホルムコンサートホールでおこなわれる(平和賞だけはノルウェー・オスロの市庁舎が会場)。

 記念晩餐会の会場は「青の間」と呼ばれる大広間だ。床は青灰色の大理石。壁は敲仕上げの赤レンガだが、設計段階では青く塗られる予定だった。ところが下地の赤レンガがとても美しく、そのままにされて大広間の名前だけに「青」が残ったという。

 受賞者が登場する際に下りる大階段は、幅広で1段1段が低い。女性のイブニングドレスが美しく見えるように配慮されているのだ。

 ボクも下りてみた。階段の途中で向こうの壁に目をやる。壁に星印がデザインされている。受賞者が星印を見ながら下りると、顔が正面を向き、テレビ映りがちょうど良い姿勢になるのだという。

 晩餐会には約1300人が出席する。国王以下の王族、政界などの要人、受賞者が招待した親族ら、それに公募の学生らだ。さしもの大広間も、すし詰め状態になる。一人あたりのテーブルの幅は、受賞者と王族が座るメインテーブルでも60センチ、ほかのテーブルはわずか50センチ。細心の注意をはらってナイフとフォークを扱わねばならない。

 舞踏会場は、2階の黄金の間。1800万枚の金箔を貼ったモザイクで壁面が覆われた壮大な広間だ。連れ合いはここで、軽くワルツのステップを踏んでみせた。その気持ち、よーくわかる。

 正面を飾るのは、メーラレン湖の女王と呼ばれる女神が新大陸とアジア大陸の間に悠然と座している大壁画である。

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 ノーベル賞の生みの親、アルフレッド・ノーベルは、1833年ストックホルムで生まれた。

 父は機械や爆発物、機雷などの製造で成功し、アルフレッドは当時の裕福な家庭によくあるように複数の家庭教師によって、とくに化学と語学を学んだ。

 成人した彼は爆発物の研究に没頭し、1871年ダイナマイトの生産開始。世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、富豪の仲間入りをした。

 1888年、兄が死去する。このときアルフレッドと取り違えて訃報を載せた新聞があった。見出しは「死の商人死す」。本文には「可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発明し、富を築いた人物が昨日死んだ」とあり、アルフレッドは死後の評価を気にするようになった、と伝えられる(異説もあるが)。

 1895年「財産の大部分をあてて国籍の別なく賞金を与える賞を創設する」と遺言状に記した。1896年、死去。1901年、20世紀の最初の年、ノーベル賞は発足した。

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 ストックホルムは「水の都」とも称される。13世紀半ば、メーラレン湖の東にある小島スタツホルメン島に砦が築かれたのが、都市の始まりだ。この島はガムラスタン(旧市街)と呼ばれ、ストックホルムの核となった。

 都市は拡大し、近くの小島も吸収していく。いま大小14の島に約75万人が住む。ガムラスタンは歩いて1時間もあれば一周できる程度の規模。中世の小路や建物が保存されており、多くの観光客を集めている。

 坂を上がった頂上部の大広場に面してノーベル博物館がある。もとは証券取引所だった。ノーベル賞100年を記念し、2001年に開館。ノーベル賞の歴史や歴代受賞者の資料などが展示されている。

 歴代受賞者が館内のカフェの木製の黒い椅子の裏側にサインするのが、博物館開館以後、習わしになった。ボクと連れ合いもカフェに入り、自分たちが座った椅子、空いている席の椅子をひっくり返してサインを確かめた。2012年の受賞者、山中伸弥・京都大教授のサインが見つかった。

椅子のサイン.jpg▲︎ノーベル博物館のカフェで見つけた山中伸弥教授(2012年医学生理学賞)がサインした椅子

 授賞式では、スウェーデン国王からノーベルの肖像を刻んだノーベルメダルを受けとる。式に続く晩餐会などでメダルを紛失してはいけないと、ノーベル賞委員会がいったん預かるしきたりがある。

 一連の行事が終わり、メダルを取りに行くと、3個のメダルを見せられるそうだ。受賞者は「本物を選んでください」と笑いながら言われる。2個は本物そっくりに作られたチョコレートなのだ。

 このチョコレート、館内の売店で売っている。ここでしか買えない観光客に人気のアイテムだが、チョコレートの70%は日本人が買っていくと聞いた。日本人のノーベル賞好きを証明するようなデータである。ボクらも、もちろん、少々買い求めました。

スカンジナビアその5地図その2.jpg▲ノーベル賞:アルフレッド・ノーベルの遺志により1901年から授賞を始める。賞は物理学、化学、医学学生理学、文学、平和の5部門と経済学(スウェーデン国立銀行創立300周年記念の1968年創設)の計6部門に対して賞状などが贈られる

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