ボクが初めて夢中になったオープンカーは英国生まれのMGAだった。「美しい大人の女性」に恋焦がれるような感覚でMGAを眺めていた。
当時、必死で購入資金を集め、1955年モデルを手に入れた。1962年、22歳のときだ。憧れのMGA、憧れのオープンカーを初めて自分のものにしたときの高揚感は、いまもよく覚えている。
そして「この美しいオープンカーはボクのものなんだ!」と思うだけで興奮した。当時は千駄ヶ谷に住んでいたが、青山、赤坂、銀座、新宿あたりを毎日走り回った。たぶん多くの人に見てもらいたかったからだろう。そして自慢したかったのだ。もちろん、オープンで走った。
日差しと風に直接身をさらして走るのは、想像以上の快感だった。すぐに虜になった。冬も、むろんオープンで走った。英国製のワックスジャケット、バブアーが基本アイテム。そして、ときどき、厚手のツイードジャケットとマフラーといった装いでも走った。いずれも、雑誌で知った英国紳士の真似だった。
だが、MGAには弱点があった。走りに我慢を強いられたのだ。端的にいって遅かった! だから、箱根にも行かなかったし、ジムカーナにもエントリーしなかった。
そんなこともあって、1年半ほどでMGBに乗り換えた。MGBもあまり速くはなかったものの、箱根にはよく行くようになった。勝てはしなかったが、ジムカーナにも出た。
MGBは幌の開閉も簡単になったし、快適性は格段に向上していた。同時期に、義兄がトライアンフTR4を買ったので、よく交換して乗った。一緒に鈴鹿サーキットに行ったりもした。オープンを満喫する日々だった。
MGB以後、長期にわたってオープンカーの所有からは遠ざかった。きっかけは子供が生まれたから。再び所有したのは2003年。ポルトガル南端で開催された国際試乗会で出会ったBMW・Z4にひと目惚れしたのだ。
Z4はルックスも気に入ったし、走りも素晴らしかった。Z4の身のこなしは文字どおり自由自在。そのステアリングを握るのは快感そのものだった。北大西洋を眼下に見下ろしながら、崖沿いの道をオープンで駆け抜ける快感にしびれた。ボクはその場でZ4をオーダーした。
Z4は2台所有した。箱根にはよく通った。箱根のワインディング路は、オープンの心地よさと、Z4の身のこなしを満喫させてくれた。
Z4の後には、MINIクーパーSコンバーチブルを所有した。これもカッコよかったし、走りも楽しめた。
オープンが心地よい季節は、常識的には春から初夏、秋から初冬にかけてだ。だが、ボクは真冬のオープンも好きだ。
若いころは、真夏もやせ我慢してオープンで走った。しかし年齢を重ねるにつれ、真夏のやせ我慢はカッコ悪いと思うようになりやめた。でも、冬のオープンはほんとうに気持ちいい。寒風に身をさらして走るのに快感を覚えるのは、昔もいまも変わっていない。