【岡崎宏司のカーズCARS】イタリア車は、オーナーをハッピーにする! ボクはアルファとパンダで「ラテンの楽しさ」を学んだ

初代ジュリアは、アルファロメオの主力モデルとして1962年に登場。当初セダンの「ベルリーナ」のみだったが、その後クーペのGT(ベルトーネ・デザイン)とスパイダー(ピニンファリーナ・デザイン)を加えた。岡崎さんの愛車となったジュリアスーパーはツインキャブ仕様の1.6リッター・DOHCを搭載したスポーツ版

初代ジュリアは、アルファロメオの主力モデルとして1962年に登場。当初セダンの「ベルリーナ」のみだったが、その後クーペのGT(ベルトーネ・デザイン)とスパイダー(ピニンファリーナ・デザイン)を加えた。岡崎さんの愛車となったジュリアスーパーはツインキャブ仕様の1.6リッター・DOHCを搭載したスポーツ版

イタリア車はアルファロメオで開眼した

 ボクがクルマに熱くなったのは大学に進学(1959年)したころからだ。ボクの周囲はほとんどが英国車ファンだった。
 当時のわが家は、クルマ好きの溜まり場になっていた。連日のように集まってくるほとんどが英国車。オースチン、MG、ミニ、トライアンフ、コルチナ・ロータス、バンデンプラ、ジャガーといったクルマで8割が占められ、残りがポルシェやアメリカ車だった。そんなことで、ボクも当然のように英国車に興味を持つようになった。結果、ヒルマン、MGA、MGB、ADO16といった車歴が重なっていった。

 そんなボクがイタリア車に出会い、イタリア車に痺れたのは1971年。31歳になったときだ。かなり遅咲きということになる。
 ある日突然、親しくしていたセールスマンが、1968年型のアルファロメオ・ジュリアスーパーに乗ってわが家を訪れた。そして、「よかったら乗ってみませんか?」といってくれたのである。

ジュリアリア

 むろん、断る理由などない。喜んで乗ってみたのだが、一発で気に入ってしまった。
 ボディは少しヤワっぽかったものの、エンジンは気持ちよく回るし、音もいい。しなやかなフットワークは未体験ゾーンだった。スタイルは単純なスリーボックスのようにも見えたが、時間の経過とともに「ただ者じゃないな!」といった感覚が押し寄せてきた。

「やっぱりイタリアのデザインはひと味違いますね!」というセールスマンの声に、ボクは「そうですね!」と即答。艶やかなイエローゴールドのボディカラーも気に入った。

 エンジンルームにも見惚れた。カッコいいカムカバーの1.6リッターDOHC4気筒には、ツインチョークウェーバー・キャブレターが2連装されている。そして、フロントがダブルウィッシュボーン、リアはトレーリングアーム(ともにコイルスプリング)のサスペンションに4輪ディスクブレーキ。ジュリアスーパーには、憧れていたものがすべて揃っていた。5速ギアボックスを上手く扱うには少しコツを必要としたが、それもまた楽しかった。

 ボクはその場で購入を決めた。ワインレッドとオフホワイトの2トーンに塗り替え、大のお気に入りだったMG1300(ADO16)を手放して、アルファロメオ・ジュリアスーパーを買うことにしたのだ。 
 本革シートとウッドパネルの内装は贅沢でスタイリッシュ。一般的にはスプリントGT(クーペ)のほうが人気はあったが、「ベルリーナの個性」に改めて気づかされた。
 ジュリアスーパーとは2年ほどを共に過ごした。もっと一緒にいたかったのだが、修理費がだんだんキツくなり、泣く泣く手放した。 

164

155

 以後、イタリア車はアルファ155ツインスパーク、アルファ164スーパー、フィアット・パンダに乗った。みんな楽しかった。
 ボディカラーを黒にした164はクールで、赤の155は粋でヤンチャ、薄いグリーンのパンダは愛らしかった。
 ジュリアスーパーからパンダまで、それぞれが強い個性の持ち主だった。とはいえオーナーを「楽しく! 嬉しく! 幸せにする!」という点は共通していた。
 そう、イタリア車を最も的確に表現するのは「ハッピー」という単語だと思う。

パンダ

【プロフィール】
おかざき こうじ/モータージャーナリスト、1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部在学中から国内ラリーに参戦し、卒業後、雑誌編集者を経てフリーランスに。本誌では創刊時からメインライターとして活躍。その的確な評価とドライビングスキルには定評がある。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員

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