【岡崎宏司のカーズCARS】1980-90年代は日本車の黄金時代。初代ソアラでアウトバーンを激走し、1989年、世界に誇る名車の誕生を喜んだ

1989年に16年ぶりに復活したスカイラインGT-Rは、すべてが最強。2.6ℓの直6DOHC24Vツインターボ(280㎰/36.0㎏m)とフルタイム4WDのコンビが圧倒的な速さとスタビリティを見せつけた

1989年に16年ぶりに復活したスカイラインGT-Rは、すべてが最強。2.6ℓの直6DOHC24Vツインターボ(280㎰/36.0㎏m)とフルタイム4WDのコンビが圧倒的な速さとスタビリティを見せつけた

数々の歴史に残る名車が誕生した記憶に残る素晴らしい時代

 ボクが自動車ジャーナリズムの世界に入ったのは1964年。第2回日本GPが行われ、スカイライン2000GT、ホンダS600、ベレットGTなどの名車が誕生。日本のモータリゼーションが一気に盛り上がった時期だ。その数年後に誕生したカローラ、サニー、スバル1000が、クルマ所有層を急速に拡大する潮流を作った。

 以後、日本の自動車産業は加速度的に力をつけ、海外市場での評価もまた急速に高まっていった。そんな流れがピークに達したのが1980~1990年代。バブル期との重複もあって、歴史に残るクルマが次々に誕生した。

ソアラ その先陣を切ったのが、1981年にデビューした初代ソアラ 2800GTだった。その姿たたずまいは拍手喝采を浴び、憧れのマトになった。極端にいえば、「メルセデスやBMWを超えるほどの人気者」になったのだ。雑誌には「女性にモテたいならソアラを買えばいい!」といったコピーさえ踊った。

 しかし、当時としては頑張っていたが、性能的には“まだまだ”のレベル。デビュー直後、ボクはアウトバーンに持ち込んだが、最高速度は平坦路で210㎞/h、下りで220㎞/hといったところ。高速安定性も満足するにはほど遠かった。

 それからしばらく、時は淡々と過ぎていったが、8年後の1989年。日本車は一躍、世界の脚光を浴びることになった。クルマ好きは、1989年を“日本車のビンテージイヤー”と呼ぶが、ボクも同意する。トヨタ・セルシオ、スカイラインGT-R、ユーノス・ロードスターが誕生した年だからだ。

セルシオ セルシオの国際試乗会はフランクフルトで行われた。品質の高さ、静粛性を中心にした快適性と性能は、世界から集まったジャーナリストを驚嘆させた。そして、同時に、世界の高級車メーカーにも衝撃を与えた。

 スカイラインGT-Rは、デビューと同時に、ニュルブルクリンクの最速ラップを大きく更新。その速さとともに、“異次元!”の高速スタビリティで世界を驚かせた。GT-Rに乗り、素晴らしさを体感したポルシェの若手エンジニアから、「日産に入れないだろうか」と、真剣な相談を受けたこともある。

ロードスター そして、ユーノス・ロードスターは、絶滅種だったライトウェイトスポーツを生き返らせ、世界から熱烈な歓迎を受けた。ロードスター・ファンクラブは、世界で最も多くの熱心な会員を抱え、現在でも温かい空気感と笑顔に包まれ続けている。

 F1チャンピオンのアイルトン・セナ選手も開発に加わったとされるホンダNSXのデビューは1990年。これもすぐアウトバーンに持ち込んだが、最高速が270㎞/hを超えた(メーター読み)のはうれしかった。

カローラ そして、1991年には、歴代でいちばん多額の開発費が注ぎ込まれたとされる7代目カローラが誕生。「こんなに上等なクルマを作って、いったいクラウンの立場はどうなるんですか!?」と、思わず開発者に問いかけてしまったことは忘れられない思い出だ。1980~90年代が“日本車の黄金期”だったことは間違いない。

【プロフィール】
おかざき こうじ/モータージャーナリスト、1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部在学中から国内ラリーに参戦し、卒業後、雑誌編集者を経てフリーランスに。本誌では創刊時からメインライターとして活躍。その的確な評価とドライビングスキルには定評がある。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員

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