【クルマ物知り図鑑】いすゞの独自開発サルーン第一号、1961年に登場したベレルは知る人ぞ知る名車、ディーゼルの搭載で個性を発揮した

ベレルはいすゞ渾身の独自開発モデルとして1962年4月にデビュー。ラップラウンドウインドゥを持ちテールをコーダトロンカ処理したスタイリングは社内デザインだったという。パワーユニットは2.0リッター(85ps)と1.5リッター(72ps)ガソリン、経済的な2リッターディーゼル(55ps)を設定していた

ベレルはいすゞ渾身の独自開発モデルとして1962年4月にデビュー。ラップラウンドウインドゥを持ちテールをコーダトロンカ処理したスタイリングは社内デザインだったという。パワーユニットは2.0リッター(85ps)と1.5リッター(72ps)ガソリン、経済的な2リッターディーゼル(55ps)を設定していた

いすゞ自社開発。先進モノコック構造採用

 いすゞは、1961年の第7回全日本自動車ショーに独自に開発した2.0リッター級の乗用車「ベレル」のプロトタイプを展示した。排気量1991ccの直列4気筒OHVエンジンは小型トラック用をベースに改良したユニットで、ボディ構造は英国車ヒルマン・ミンクスのノックダウン生産で学んだ、当時としては先進的なモノコック構造を採用していた。車名の“ベレル(Bellel)”は、社名である“いすゞ(五十鈴)”を鈴(bell)と五十(ローマ数字でLと表記)に分け、順序を入れ替えたものと言われる。なかなかウィットに富んだネーミングである。正式発表・発売は翌年1962年4月からとなった。

スタイル01リア トランク開け ベレルは、いすゞにとってはヒルマン・ミンクスに代わる本格的な上級乗用車だった。当時としては大型のボディサイズを持ち、ライバルはトヨタのクラウン、日産のセドリック、そしてプリンスのグロリアを念頭に置いていた。上級クラスだけに、オーナーカーとしてのニーズとともに、ハイヤーやタクシーといった法人需要も意識して開発されていた。

 しかし、いすゞの独自開発乗用車は、ライバルに対してタイミング的に遅すぎる印象があった。ヒルマンの好調な販売が影響したようだが、本来ならもう1年ほどは前倒しで開発するのが望ましかった。というのも1960年代初期はすでに、トヨタのクラウン、日産のセドリックの2大ブランドに拠るマーケットの寡占が定着しつつあり、新しいブランドが割り込むのはかなり難しい状況となっていたからである。だが、敢えて切り込んだのは、いすゞの総合自動車メーカーとしてのプライドだったと思われる。また、戦前からの大型トラック専業メーカーというイメージを払拭したいという狙いもあったはずだ。

走り

サイドビューいすゞらしく経済的なディーゼルを設定

 ベレルに搭載されたエンジンは、ガソリン仕様が2種とディーゼル仕様が1種でいずれも直列4気筒OHVだった。排気量はガソリン仕様が1491cc(72ps)と1991cc(85ps)、ディーゼル仕様は1991cc(55ps)となっていた。注目はディーゼル・エンジンである。国産乗用車としてはトヨタのクラウンに次ぐもので、経済性の高さから主に法人向けやタクシー用に使われた。ディーゼル・エンジンに豊富な経験を持ついすゞらしく完成度は高く、当時の試乗レポートでは「ガソリン車と遜色ないパワーと走り、メルセデス・ベンツのディーゼルよりも静か」と報告された。ちなみにディーゼル車のランニングコストは軽油自体の安さもあってガソリン車の約2分の1にすぎなかった。

ディーゼル

透視図 トランスミッションは4速マニュアルで、コラムシフトのみの設定となっていた。オートマチック・トランスミッションやスポーティーカーの必須条件だったフロアシフトの設定はなかった。サスペンションは前がダブル・ウィッシュボーン/コイル・スプリングの組み合わせ、後が縦置きリーフ・スプリングによる固定軸ときわめてコンベンショナルである。

欧州イメージのスタイリングは純オリジナル

 ベレルの大きな特徴を形成するスタイリングは、当時多くのメーカーが行っていた海外のカロッツェリアに依頼したものではない。社内スタッフに拠るものだといわれる。4ドアの3ボックス・セダンでありながら、コーダトロンカの手法を採用したとメーカーが主張する造形は、三角形のテールライト、大きく湾曲したフロント・ウィンドウ、低いウェストラインなど日本車らしからぬ垢抜けしたものだった。しかし、基本的なデザイン手法は優れていたものの、スタイリングそのものはすでに旧さを感じさせるものとなってしまっていた。

スタイル02

インパネ

 ベレルがデビューした1962年当時、ライバルのセドリックやグロリアはいち早く4灯式ヘッドランプを採用していた。クラウンも9月にモデルチェンジしたRS40系で4灯式ヘッドランプに移行する。しかしベレルはシンプルな2灯式。しかもクロームのモールディングも少なく地味な印象は否めなかった。大胆な3角形のリアランプは好き嫌いがはっきりと別れた。インテリアも、高級車としては実質的に過ぎ、華やかさに欠けるきらいがあった。1963年4月に内外装を豪華にして、装備とアクセサリーを増やしたスペシャルデラックスも加えたのは、ユーザーの声に応えた結果だった。

スペシャルデラックス

室内 そのスペシャルデラックスの豪華さには、目を見張るものがあった。シートを含め内装は高級織物仕上げで前後ともに格納式アームレストを装着。オーディオは標準で電子自動サーチ式を装備する。オプションではあったが、前後140mmのスライドと40mmの高さ調節が可能なパワーシートや、ダッシュ下に取り付けるタイプと、リアのCピラーに装着するタイプの2種のカークーラーも設定していた。カークーラーは冷房効果が前席重視であればダッシュ型、後席重視だとCピラー型というように選択していたようだ。当時は冷房能力がさほど強力でなかったための配慮だが、ここまでキメ細やかなアクセサリー設定はいすゞの良心といえた。

最終前

最終後

 ベレルは、1965年にマイナーチェンジを施し、グリルの形状とデザイン、室内のデザインを変更する。さらに、1966年にはヘッドライトを縦型4灯式とし、テール・エンドの意匠変更(特徴的な三角テールライトは消えた)を行い、室内もより豪華にした。しかし、エンジンやトランスミッションなどメカニズムには大きなリファインはなかった。結局ベレルは大きな人気を得る事無く、1967年5月で生産を終えた。およそ5年間での総生産台数は3万7206台だったと言う。

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