浅草寺の境内にこれほど広々としたスペースがあったとは驚いた。というのも、アストンマーティン・アルカディアのコンクールデレガンスが本堂に隣接する広場で催されたのだが、ここに何と70台以上のアストンマーティンが勢揃いしたのである。
その多彩な顔ぶれにも目を見張らされた。まずは、本堂手前の入り口に、ガラスケースに収まった2024年モデルのアストンマーティンF1(レプリカ)とDB5ゴールドフィンガー・コンティニュエーションの2台を展示。後者は、1964年に製作された映画『007 ゴールドフィンガー』に登場したボンドカーのDB5をアストンマーティン自身が再現したもの。クルマのスペックは当時のDB5と同じ。ここに、ボンドカーに搭載された各種「秘密兵器」を模したガジェット(回転するナンバー・プレート、後方からの攻撃から乗員を守る防弾プレート、後方に向けてオイルを噴出する仕掛けなど)を装備している。2018年に25台が限定販売された車両である。ちなみに、価格は現在のレートで約5億円(!)という貴重モデルだ。
さらにその奥には本邦初公開のDB12 ヴォランテ(オープン)、クーペ版のDB12、DBX707など最新モデルがずらりと並んだ。これに続いていたのが1950年代から1970年代にかけて製作されたDB4、DB5、DB6といった名車の数々。過去と現在のモデルが隣り合って展示されている姿は、2023年に創業110周年を迎えたアストンマーティンの歴史をまさに象徴していた。
そのほか会場内には、デイヴィド・ブラウン社製のトラクター「995」、ヴァンテージ・ベースのレーシングカー、ヴァルキリーAMR Proなどの希少車が展示されていた。
デイヴィド・ブラウン社製トラクターが展示されたのは、実業家のデイヴィド・ブラウンが、戦後アストンマーティンの黄金期とされる1940年代から1970年まで同社オーナーを務めていたからだ。
コンクールデレガンスには70台以上のアストンマーティンが参加。スティーヴ・ワディンガム(審査員長/アストンマーティン・ラゴンダ社ヒストリア)、ギャリー・テイラー(アストンマーティン・ヘリテージトラスト)、中村史郎(カーデザイナー)、奥山清行(カーデザイナー)、堀江史朗(オクタン日本版編集長)の5名による審査の結果、流麗なエアロダイナミクスボディを持つタイプCが「ベスト・イン・ショー」に選ばれたほか、ルマンが「レストレーション・クラス」、インターナショナルが「1923-1932クラス」をそれぞれ制して幕を閉じた。
コンクルールの授賞式が終わると、およそ50台のアストンマーティンがオーナーズパレードを実施。東京の街並みを颯爽と駆け抜けて、その一部は翌日の会場となる富士スピードウェイへと向かった。
そうアストンマーティン・アルカディアはコンクールデレガンスだけでなく、富士スピードウェイでのトラックデイもメニューとして盛りこまれていたのだ。富士の麓に到着した一行は、まず、富士スピードウェイホテルでのガラディナーとチャリティオークションに参加。オークションの目玉とされた前述のアストンマーティンF1のレプリカは実に2900万円で落札されるなど、売上額は合計で3540万円に上った。なお、この収益金は日本赤十字社に寄付されたという。
最終日のトラックデイは、まず参加車両が富士スピードウェイのストレート上に整列してのオープニングセレモニーを実施。ヘリテージカーによるサーキット走行、ゲストをDBX707の助手席に迎えてのホットラップ、ヴァルキリーAMR Proやヴァルカンといったアストンマーティンのサーキット専用モデルがデモンストレーションランを行うなど、実に盛りだくさんの内容となった。
今回のイベントで印象的だったのは、これまで一堂に会することがなかったアストンマーティンの新旧オーナーがひとつのイベントに参加し、ともにアストンマーティンの創立110周年を祝ったことである。これが実現できたのは、アストンマーティン・オーナーズクラブの協力があったからだろう。
アストンマーティン・アルカディアは、今後も2年に一度のペースでアジア太平洋(APAC)地域で開催されるという。その第1回が日本で開催されたのは、日本がこの地域で最大の市場であると同時に、同社APAC代表のグレゴリー・アダムスの強い意向によるという。2025年に開催予定の第2回アルカディアも大いに楽しみだ。