【名車グラフィティSpecial】世界と日本の黎明期のモータースポーツを支えた勇者たち

モータースポーツ メイン富士モータースポーツ・ミュージアムの名車たち

 人間の「スピードを追求する本能」を刺激するもの、それがモータースポーツである。自動車は誕生まもない時期からレースでその速さと優秀性を磨き、レースを通じて技術を革新してきた。現在のクルマの発展は、黎明期のモータースポーツを支えたマシンがあったからである。超一級のスピードとロマン溢れるストーリーを持つ名車たち。富士スピードウェイ・ホテル内にある「富士モータースポーツ・ミュージアム」に展示された勇者たちは雄弁にクルマの魅力を語りかける。

パナール1899/パナール・ルバッソール Type B2/フランス

世界初のモータースポーツ優勝車

パナール・ルバッソール社は、フランス最古の自動車会社。ドイツで発明されたガソリンエンジンの特許を取得して、自動車生産を企業化した。エンジンの後方にクラッチ、トランスミッションを縦一列に置き、ドライブシャフトとデフ機構を介して後輪を駆動するFR方式を最初に採用した・近代自動車の祖。

スペック/全長3183mm/エンジン3562cc水冷直4Fヘッド(12ps)/1281kg

トーマス1909/トーマス・フライヤー・モデルL/アメリカ

ガソリン自動車の信頼性と耐久性を世界に証明

ニューヨーク〜パリ世界一周ロードレースで優勝し、クルマの信頼性と耐久性への不安を一挙に払拭した名車。レースの様子や優勝の事実は、全米に報道され、地方の農村住民に「自動車はぬかるみでも雪道でも大丈夫」と、季節を問わない走破性能をアピール。フォードT型に代表される大衆車の爆発的普及の下地を作ったとされる。

スペック/全長4112mm/エンジン4377cc水冷直6Lヘッド(40ps)/1312kg

スタッツ1914/スタッツ・ベアキャット・シリーズF/アメリカ

インディ500マイル・レースの申し子

戦前の米国で最良のスポーツカーと表されたモデル。創業者のハリー・スタッツは量産開始以前の試作第1号車で1911年の第1回インディ500マイル・レースに参戦し11位。1913年には3位の好成績を収めると、1914年にベアキャットの市販を開始した。スタッツは1928年のル・マン24時間レースでは2位と活躍した。

スペック/全長4189mm/エンジン6394cc水冷直4Tヘッド(60ps)/1362kg

サンビーム1922/サンビーム・グランプリ/イギリス

優美な造形のグランプリカー

1920年代の進歩的なグランプリカーの代表。サンビームは当時の最先端技術であるDOHC4バルブ・エンジンを英国で最初に採用した。写真は第1次大戦後のフォーミュラ新規定(排気量2リッター以下)が導入されるストラスブール・グランプリ参戦用に4台のみ製造されたうちの1台。英国人K・Lギネスが操縦したマシン。

スペック/全長3890mm/エンジン1975cc水冷直4DOHC(88ps)/662kg

ブガッティ1926/ブガッティ・タイプ35B/フランス

先端技術と芸術が融合したサラブレッド

グランプリからスポーツカーレースのタルガ・フローリオまで、広い分野で多くの勝利を獲得した名車。2リッターと2.3リッターの排気量を設定し、双方に自然吸気と過給機付き仕様を用意。アマチュアドライバーに多数販売した。直方体のエンジンや、ボディラインの美しさからレーシングカーの傑作と評される。アルミホイールを装着した先駆でもある。

スペック/全長3820mm/エンジン2262cc水冷直8DOHC・SC(130ps)/802kg

ベントレー1930/ベントレー 4 1/2(ル・マン仕様)

ル・マン4連勝の勇者。タフなグランドツアラー

ベントレーは1919年にW.O.ベントレーが創業。航空機用エンジン技術者の経験を持つことから、自動車設計に当たっても耐久性と信頼性を重視し、大排気量エンジンや強固なシャシーを備えた。ル・マン24時間レースには、1923年の初回から参戦し、1924年にはワークス体制で戦い優勝。その後も改良を重ね、1927年まで4連勝を達成した。

スペック/全長4374mm/エンジン4398cc水冷直4OHC(110ps)/1564kg

メルセデス1934/メルセデス・ベンツW25/ドイツ

ドイツのナショナルカラーをシルバーに変えた強者

1935年から施工された、乾燥重量750kg以下と定めた新規定に沿って制作慣れたマシン。規定重量内で最高の性能を得るため、シャシーフレームに無数の軽め穴を多用して軽量化を図った。初戦前夜、わずかな重量過多が判明したため、徹夜で白色塗装を剥がして地肌(シルバー)のまま出走し、初優勝を飾った。

スペック/全長4040mm/エンジン3362cc水冷直6DOHC・SC(354ps)/重量750kg

トヨペット1951/トヨペットレーサー/日本

国産車発展の想いを込めた幻のマシン

トヨペットレーサーは、1951年、トヨペットSD型乗用車をベースに大阪トヨタ自動車(1号車)と愛知トヨタ自動車(2号車)によって2台製作された幻のレースカー。優れた小型車を世に送り出すためレースを通じた技術向上が不可欠と考えたが、当時のオートレースの舞台ではその想いは叶わなかった。

スペック/全長4070mm/エンジン995cc水冷直4SV(27ps)/重量800kg

ダットサン1958/ダットサン210型(第6回 豪州ラリー・クラス4位入賞車)/日本

海外輸出の可能性をラリーで実証

日産は1958年、第6回 豪州ラリーに「富士号」「桜号」と名付けた2台のダットサンで参戦。後に「フェアレディZの父」と呼ばれた片山豊マネージャーを中心に長距離コース訓練、性能と耐久性の確認、トラブル対策を研究して挑み、富士号がクラス優勝、桜号も同4位入賞を果たした。翌1959年のニューヨーク自動車ショーで注目を浴び、後の対米輸出の礎を築いた。

スペック/全長3860mm/エンジン988cc直4OHV(34ps)/重量925kg

ホンダ1961/ホンダRC162(1961年・西ドイツグランプリ優勝車)/日本

250cc参戦2年目で年間タイトルを獲得

1961年ロードレース世界選手権 第2戦 西ドイツGPで高橋国光選手が操り、日本人とHonda250ccレーサー双方にとって、初優勝をもたらした。RC162は出場した10戦すべてで優勝し、年間タイトルを獲得。マン島TTレースでは1〜5位を独占する。

スペック/全長1874mm/エンジン249cc空冷並列4DOHC(48ps以上)/重量126.5kg

日野1961/日野コンテッサ900(第1回 日本GP C-IIIクラス優勝車)/日本

日野チャレンジング・スピリットの象徴

フランスのルノー公団との技術提携車「日野ルノー4CV」で培った技術と知見を活用し、日野は独自開発車のコンテッサを1961年4月に発表。リアエンジン・リアドライブ方式を採用し、軽快な運動性能が好評を博した。そのスポーティなキャラクターは、1961年5月の第1回 日本グランプリのツーリングカー(700〜1000cc)で優勝をもたらした。

スペック/全長3805mm/エンジン893cc水冷直4OHV(35ps以上)/重量750kg

2000GT1966/トヨタ2000GTスピードトライアル/日本

FIA公認の速度記録会に挑戦・世界記録樹立

トヨタ2000GTは日本初の「世界水準のグランドツーリングカー」として登場。車両開発の場として、第3回 日本グランプリや富士24時間レースなどへのプロトタイプ(試作車)による参戦や、FIA公認の連続78時間速度記録挑戦で得たノウハウを盛り込んで市販車を完成させた。また映画007シリーズ「007は二度死ぬ」への登場など、技術・マーケティングの両面で話題を集めた。

スペック/全長4160mm/エンジン1988cc水冷直6DOHC(150ps)/重量1150kg ※スペックは市販仕様

R3821969/日産R382(1969年 日本グランプリ参戦車)/日本

日本初V12エンジン搭載マシン

R382は日本グランプリ連覇を目指して開発されたモンスター。新開発のDOHC4バルブ自然吸気6リッターV12ユニットを搭載し、5リッターV8搭載のトヨタ7を下した。リアウイング禁止の車両規定に則して、ボディはウエッジシェイプ。グランプリにはR382が3台参戦。1位/2位/10位に入った。写真は10位完走モデル

スペック/全長4045mm/エンジン5954cc水冷V12DOHC(600ps)/重量790kg

トヨタ71969/トヨタ7(1969年 日本カンナム優勝車両)/日本

アメリカの強豪を破った和製レーサー

トヨタは1969年日本グランプリに向けて5リッターエンジンのトヨタ7を開発。日産の後塵を拝したが、同年開催された日本カンナムレースに河合稔選手のドライブで参戦、アメリカの強豪を下し優勝した。カンナム史上、日本製マシンおよび日本人ドライバーの初優勝でもあった。トヨタ7は12台が生産されたが、現存するのは1台のみ。

スペック/全長3705mm/エンジン4986cc水冷V8DOHC(600ps)/重量820kg

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