マクラーレン ブランドストーリー Since:1963
ニュージーランド出身のブルース・マクラーレンが創設
マクラーレンは、ある意味でフェラーリ以上にモータースポーツに軸足を置いてきた企業だ。なにしろ、60年に迫る歩みのなかで、ロードカーの本格的な量産体制が整ったのは2010年のこと、その歴史はわずか12年に過ぎないのである。
創設者はニュージーランド出身のブルース・マクラーレン。ドライバーであると同時にレーシングカー作りの才能にも恵まれたブルースは、1958年にクーパーからF1にデビューすると、翌年には22歳で初優勝を果たし、F1での史上最年少優勝記録(当時)を樹立する。
彼がブルース・マクラーレン・モーターレーシングをイギリスに設立したのは1963年のこと。同社は自ら開発したマシンで、スポーツカーレースのCan-Amシリーズ、インディ500、さらにはF1にも参戦し、数多くの栄冠を勝ち取る。
ブルースはロードカー開発にも情熱を燃やし、M6GTという名のプロトタイプカーを製作して日常の足としていた。しかし、その夢が花開くよりも早く、1970年にレーシングカーのテスト中に非業の死を遂げ、ロードカー計画も頓挫してしまう。
天才デザイナー、ゴードン・マーレイが初のロードカーを生み出す
彼の死後もF1参戦を続けたマクラーレンは、1981年にロン・デニスらに買収され、さらに飛躍。これまでに合計20のタイトルを獲得し、フェラーリに次ぐ成功を収めたチームとなった。
1988年には天才デザイナーのゴードン・マーレイが技術部門のトップに就任する。彼の提案もあってマクラーレンF1という名のロードカーを1992年にリリース。それは、ブルースの夢が20余年の歳月を経て結実した瞬間でもあった。
マクラーレンF1は1995年のル・マン24時間に初優勝するなどレース界でも活躍したが、やがてF1で提携関係にあったメルセデス・ベンツのプロジェクトに後を譲る格好となってモデルライフを終える。そしてメルセデスとの関係が2009年に幕を閉じると、そのロードカー部門はマクラーレン・オートモーティブと名前を変えて再出発を図ったのである。
MP4/12Cと名付けられた彼らの「処女作」はカーボンモノコックにV8エンジンをミッドシップ。エアロダイナミクスを活用したラグジュアリーなスーパースポーツカーとしてデビューした。
その後もマクラーレンは一貫してこの方針を堅持してきたが、2021年にはV6エンジンにプラグインハイブリッド・システムを組み合わせた新世代モデルのアルトゥーラを発表。電動化時代に向けて新たなスタートを切った。