父が道を示し、息子が356で開花させたスポーツカー作り
自動車メーカーとしてのポルシェは、フェリー・ポルシェによって1947年に設立された。だが、ポルシェ家によるクルマ作りは、フェリーの父にあたるフェルディナントの代まで遡らなければいけない。
自動車が発明されたのは、1875年生まれのフェルディナントが11歳のときのこと。幼心に自動車への関心を抱いた彼は、オーストリアの産業機械メーカーに就職すると、技術者として自動車の開発に取り組むようになる。1923年にはダイムラーの技術責任者に就任。その8年後にはドイツのシュトゥッツガルトに自らの設計事務所を設立した。
この頃、フェルディナントはドイツ政府の国民車計画に基づいてkdFを設計。これが第2次世界大戦後に量産されたのが、われわれのよく知るフォルクスワーゲン(通称ビートル)だった。
1948年、フェリーらはポルシェの名を冠した初のスポーツカー、356を完成させたが、ここにビートル用の空冷式水平対向4気筒エンジンが搭載されたのは、したがって偶然ではなかった。また、ビートルと同じリアエンジン方式が採用されたのも、トラクションとスペース効率からこの方式が最適というフェルディナントの思想を受け継いだ結果だった。
ポルシェは356をレース用に改良した356SLクーペで1951年のル・マン24時間に出場すると、初参戦ながら1.1リッタークラスで優勝。これこそ、史上最多の通算19勝を誇るポルシェの、ル・マン24時間における最初の足跡だった。
911で確立したポルシェのスポーツカー様式
356の成功によりスポーツカーメーカーとしての足場を固めたポルシェは、その後継モデルにあたる901を1963年のフランクフルトショーで発表。901の名はプジョーが使用権を有していたことから911へと改められたが、このとき誕生した水平対向6気筒エンジン搭載のニューモデルが、さまざまな改良を施されながら現在まで作り続けられていることはご存じのとおりである。
ポルシェは911以外にもミッドシップの718ボクスターや718ケイマンをラインアップ。いまや世界最大のスポーツカーメーカーとして知られているが、これら2ドアモデルの販売台数は6万台弱で、ポルシェ全体の20%弱にすぎない。
2021年のデータでは、最も多く販売されているポルシェはマカン(8万8362台)で、2位はカイエン(8万3071台)。そしてEVのタイカン(4万1296台)、パナメーラ(3万220台)と続く。世界的には4ドアモデルが80%以上と大多数を占めているのが現状である。