マセラティは、MC20チェロの国際試乗会をシシリー島で開催した。その理由をマセラティ広報のダヴィデ・クルーザーに訊ねると、「マセラティはシシリー島で開催されたタルガフローリオというレースで1937年から歴史的な4連覇を成し遂げたことが挙げられます」と答えてくれた。試乗記については本誌『CAR and DRIVER』(2023年1月号)をご覧いただくとして、本稿ではマセラティの「タルガフローリオ伝説」をお届けしよう。
1906年から1977年まで開催されたタルガフローリオは、当時「もっとも過酷なロードレース」のひとつとして世界的に注目される存在だった。その最大の特徴は、シシリー島の大自然のもとで開催される点にあり、このため重大な事故が発生することもしばしばだった。
そういった影響もあって、コース設定はしばしば変更された。1906年から1911年までが全長約150kmのグランデ・チルクィート・デラ・マドニエ、第一次世界大戦を挟んで再開された1919年から1931年までが全長107kmのメディオ・チルクィート・デラ・マドニエ、1932年から1936年までは全長71kmのピッコロ・チルクィート・デラ・マドニエへと次第に短縮されていった。
マセラティが4連勝を飾った1937〜1940年は、全長5.6kmのパルコ・デラ・ファヴォリタというコースで実施されたが、レース距離は312kmにおよび、厳しい闘いであることにかわりはなかった。
1937年、マセラティは合計10台の6CMと4CMをタルガフローリオに投入。6CMを駆るフランチェスコ・セヴェリを筆頭にトップ4を独占した。1938年もマセラティの独壇場で、ジョヴァンニ・ロッコがやはり6CMで優勝。1939年と1940年はルイジ・ヴィロレッシが2連勝を達成した。
翌年以降は第二次世界大戦の影響で開催が見送られるとともに、戦後のマセラティはF1に注力したため、その後、彼らがタルガフローリオで栄冠を勝ち取ることはなかった。
最新のMC20は、マセラティの伝統を感じさせるダイナミックな走りと、開放感溢れる洗練された快適性が真骨頂。この魅力をマセラティの聖地とも言える、シシリー島で試せたのは、大いなる幸運だった。マセラティは生粋のスポーツカーブランドである。
価格:8DCT 3385万円
全長×全幅×全高 =4669×1965×1224mm
ホイールベース=2700mm
車重=1540kg
乗車定員=2名
エンジン=3リッターV6DOHC24Vターボ
最高出力=463kW(63hp0)/7500rpm
最大トルク=730Nm(74.4kgm)/5500rpm
サスペンション=前後ダブルウィッシュボーン
ブレーキ=前後ベンチレーテッドディスク
タイヤサイズ=前245/35R20/後305/30R20
駆動方式=RWD
0→100km/h加速=2.9秒
最高速度=325km/h