GT-Rは、独立モデルになってからすでに16年目。さらに、スカイライン・ファミリーの一員として誕生した初代モデルからカウントすると、半世紀以上の歴史を誇る。赤バッジの「R」は、まさに日本を代表するスポーツモデルである。
GT-Rは、年代とメカニズム面で、3期に大別できる。1969年から1973年までの第1期は、日産と合併する以前のプリンス自動車工業製の純レーシングマシン、R380用エンジンをデチューンしたS20型を搭載していた。
16年の空白期間を経て1989年に復活した第2期は、完全新開発されたターボ付きエンジンと、鍛え上げたボディ骨格、そして電子制御式のトルクスプリット4WDシステムなど、第1世代とはまったく異なる新技術を満載した。
そして第3期となる現行R35は2007年に登場。このモデルから「スカイライン」の名称が外れて、ワールドワイドで日産を代表するモデルになった。
個人的に実体験を伴うのは、第2期のGT-Rからである。とくに復活第1弾となったR32には、文字どおり「衝撃」を受けた。当時の国産ライバルすべてを圧倒する走りのポテンシャルを鮮明に記憶している。
当時はまだ、現在となっては理不尽と思える最高出力の280psの自主規制が存在していた。モータースポーツのレギュレーションを勘案して2.6リッターに設定されたツインターボ付き直列6気筒4バルブDOHCユニットから発せられた最高出力は280ps。どうせならキリのいい300psはマークしてほしかったという思いはあったものの、実際にアクセルを踏み込んでみれば、天井知らずのように高まるエンジン回転の伸びと、それに伴って生み出されるパワーに心が躍った。シートバックに体が貼り付けられるような加速力は、文句なしに感動的だった。
R32型では、日産の栃木工場に隣接したハンドリングコースを存分に走り回る機会を得た。GT-Rは速かった。そして圧倒的な動力性能に加え、緩急を混ぜながら次々迫るコーナーを何の危機感も抱かせずにとんでもないスピードでクリアしてしまう、このうえなく自在度の高いハンドリングにも舌を巻いた。
「4WDは曲がりにくい」という、それまでの経験から抱いていた先入観が見る間に氷解したのはまさにこのときだった。なぜだかはわからないが、「ポルシェにさえも肉薄する、とんでもない日本車が誕生してしまった!」と、ちょっと背筋が凍るような思いを抱いたことを思い出す。
GT-Rは、その後R33型、R34型とモデルチェンジのたびに進化を遂げ、現在のR35型へと昇華された。個人的に最大のインパクトを受けたと記憶に残るのはR32型。GT-Rのブランドを復活させた存在としても記録されるこのモデルは、まさに「伝説」にふさわしい赤バッジである。