SUBARU・WRX物語「勇者の肖像」/初代インプレッサWRX
SUBARU(スバル)の「WRCマイスター」の称号は、1992年に登場した1stインプレッサWRXが築き上げた。レガシィと同様、プロドライブ社の手によってWRCマシンに改造されたインプレッサは、1993年8月の1000湖ラリー(フィンランド)でデビュー。WRC仕様には、インプレッサ555の名称が与えられた。ブリティッシュ・アメリカン・タバコが持つブランドからの引用で、ブルーの地に鮮やかなイエローのロゴはその後、インプレッサのイメージと切り離せない関係になる。
メカニズム面はインタークーラーに工夫を凝らした。ユニット自体は空冷式でエンジン直上に配置された。主にボンネット上部のインテークから空気を取り入れて冷やす仕組みだが、構造上、あまり効率がよくない。そこで編み出されたのがウオータースプレーだった。吸気温度が高くなる状況では、ボンネット裏のパイプから水を噴射し、インタークーラーを強制的に冷やしたのである。
インプレッサは、ベテランのアリ・バタネン選手とマルク・アレン選手に託された。アレン選手は競技開始早々にコースオフ。一方、バタネン選手はトヨタ・セリカGT-Fourをドライブするユハ・カンクネン選手やディディエ・オリオール選手と激しいバトルを演じた末、2位でフィニッシュ。幸先のいいデビューを飾った。
初のフルシーズン参戦となった1994年、スバルはスペインが生んだ大スター、カルロス・サインツ選手を招き入れた。90年、92年とトヨタでドライバーズタイトルを獲得したサインツ選手は、プライベートチームで不遇の1年を過ごしたのち、復活を誓ってスバル入り。インプレッサにはサインツ選手と、前年、レガシィに初優勝をもたらしたコリン・マクレー選手が乗り込んだ。
インプレッサの初優勝は、5月の第5戦アクロポリス。マクレー選手の失格などにより最終レグでトップに浮上したサインツ選手は、追い上げるトヨタ勢を退けてフィニッシュ。第7戦ニュージーランドではマクレー選手が優勝、最終戦RACでもマクレー選手が勝ち、スバルはトヨタに次ぐメイクスランキング2位でシーズンを終えた。
1995年、スバルはサインツ選手とマクレー選手にピエロ・リアッティ選手、リチャード・バーンズ選手を加えた4台体制で臨む。マシンは、鋭いレスポンスと幅広いトルクバンドを重視したチューニングで戦闘力をアップした。
1995年の速さは別格だった。開幕戦モンテカルロでのサインツ選手の優勝を皮切りに、第3戦ポルトガル(サインツ選手)、第5戦ニュージーランド(マクレー選手)、第7戦カタルニア(サインツ選手)、最終戦RAC(マクレー選手)と8戦中5勝を挙げ、スバルは念願のメイクスタイトルを獲得。マクレー選手は地元開催のRAC勝利が決め手になり、ドライバーズタイトルを戴冠。スバルは参戦6年目にして、WRCを完全制覇したのである。
全9戦で行われた1996年シーズンは波乱万丈だった。スバルはシーズン序盤から上位に入りチャンピオンシップのリードを奪うものの、第3戦までは未勝利。マクレー選手の奮闘により、第4戦アクロポリスでようやく初勝利。2位の三菱(マキネン選手)に大差を築いての優勝だった。しかし、第5戦アルゼンチン、第6戦1000湖ラリーはトラブルやクラッシュに泣いた。第7戦オーストラリアも完走こそしたものの悪コンディションに苦しみ、優勝を手にすることができなかった。この時点で、メイクスランキング首位の座を三菱に明け渡してしまう。
ここから、スバルは意地を見せる。第8戦サンレモでマクレー選手が久々の優勝を飾ると、最終戦カタルニアでも優勝し、スバルは三菱を退けて2年連続のメイクスタイトルを獲得した。一方、ドライバーズタイトルは、サファリ初挑戦で勝利を飾るなどした三菱のマキネン選手に奪われてしまった。
1997年は車両規定が大きく変わった。グループA規定からWRカー規定への変更である。年間2500台以上を生産するモデルをベースに、大幅な改造が許される内容で、スバルはこの規定にいち早く対応。マシンを2ドアにスイッチすると同時に、全幅を市販バージョンより80mm拡大。ボディカラーを明るめのメタリックブルーに変更した。
WRカーはインタークーラーをエンジン上面からフロントグリル後方に移動していた。インタークーラーの搭載位置変更で吸入空気温度が下がり、出力・トルク特性が改善。ボディ幅拡大でサスペンションジオメトリーの自由度が大きくなり、ハンドリングパフォーマンスが向上した。インプレッサの戦闘力は大幅にアップする。
ドライバーは、マクレー選手とピエロ・リアッティ選手のラインアップでスタート。第1戦モンテカルロでは、リアッティ選手がフォードのサインツ選手を押さえ込み、自身の初優勝を手にすると同時に、スバルにWRカー初優勝をプレゼントした。第2戦スウェーデンには、リアッティ選手に替わって地元出身のケネス・エリクソン選手を起用。この作戦が当たり、スバルは2連勝を遂げる。第3戦サファリはマクレー選手がウィナーに輝いた。スバルにとっては、18回目の挑戦にして初のサファリ制覇となった。
第4戦ポルトガルと第5戦カタルニアは、グループAマシンで参戦していた三菱のマキネン選手が優勝。マキネン選手は第5戦と第10戦でも勝利。この時点でメイクスランキングはスバルがリードしていたが、ドライバーズポイントは、マキネン選手が先行した。
マクレー選手は第12戦サンレモ、第13戦のオーストラリアと連続優勝を果たすと、最終戦イギリスでも独走で優勝し意地を見せた。結果、スバルは14戦中8勝の圧倒的な強さで3年連続のメイクスタイトルを獲得。WRCの王者であることを印象づけた。勇者WRXの速さは本物だった。