種類:直列 6気筒DOHC24Vツインターボ
総排気量:2568cc
ボア×ストローク:86×73.7mm
圧縮比:8.5:1
最高出力: 280ps /6800rpm
最大トルク:36.0kgm)/4400rpm
レースに勝つためのエンジンと車体を作る。1980年代に企画された第2世代スカイラインGT-Rにははっきりとした目標があり、それを目掛けて全力で開発され、結果的に大きな成果を挙げた。だからこそ、いまなお名車として崇められる存在となったのだ。昨今の中古車相場高騰には他の因縁(海外需要を喚起した有名映画など)も影響していることは確かだが、それもレース活動における成功がバックグラウンドストーリーとしてあったからこそだ。
1989年に登場し、2002年まで生産された第2世代スカイラインGT-R。その心臓部は一貫してストレート6のツインターボエンジン、RB26DETTであった。このエンジンは一部の例外を除き事実上のGT-R専用機であって、L型に変わる新世代の直6として開発されたRB型をベースに開発されていた。
1980年代半ばにおいてメーカーの威信をかけたツーリングカーレースといえばグループA規定で行われていたJTC(全日本ツーリングカー選手権)である。日産もR30、そしてR31スカイラインで参戦し活躍したが、圧倒的な勝利を得るべくGT-Rの復活を決めた。とくにR31において限定車のGTS-Rが登場し、真のR登場へファンの期待は一気に高まっていた。
当初は輸出用RB24をベースにしたターボエンジンで勝てると踏んでいたようだ。ところが年々レースが盛り上がりを見せ(時代はバブル経済の真っ盛り)、国産ライバルのトヨタや三菱をはじめ、フォードやジャガーといった外国勢の活躍もあって、勝てるラップタイム予想はどんどん速くなっていった。そこでクラス1規定(自然吸気で4.5リッター以下)に収めつつ、そしてベースエンジンの制約を守り、過給器付きで取り得る最大の排気量として選ばれたのが2.6リッターだった。レースに勝つための必然として誕生した2568ccという見慣れない総排気量こそ、第2世代GT-R伝説の出発点だった。
BNR32、BCNR33、そしてBNR34を通じて、その最高出力は自主規制値である280psにとどまっていたが、一度その能力を解放=チューニングすればその2倍、3倍の出力を得ることができた。筆者は400ps程度、つまりはライトチューンレベルのBNR32に乗っていたが、それでも小さな車体サイズと相まって、かなり速いクルマだったことを覚えている。
ノーマルコンディションでも、エンジンフィールには味があった。エンジン回転が上がっていくにつれて力を一点に収束し、そこへ右足から吸い込まれそうになる感覚は、他のストレート6はもちろん、欧州の高性能エンジンでも味わえない独特の感覚だった。日産には名機と呼ばれるストレート6が多いが、中でもR26DETTは別格である。
時代やモデルに応じてさまざまな仕様もあった。レースのベースエンジンとなったN1スペックなどは、マニア垂涎のRB26だろう。