イタリア車の魅力とは一体なんだろう。デザイン?性能?歴史?おそらくはそれらすべてをひっくるめて「イタリア生まれであること」が魅力の源泉であるに違いない。
要するにそれは「イタリアそのもの」の発する魅力であり、それを享受するイタリア人の生き方に対する私たちの憧れだ。日本に住みながらでは、同じようには決していかないけれど、クルマ(そしてファッション、テキスタイル、シューズ、小物、フードなど)をイタリア製に変えただけで、人生がいっそう明るく前向きに変わる、ような気がする。その気にさせるのがとても上手い、それが「イタリア」だ。
もっともイタリアとひと言で表現できるほど彼の国は単純なわけではなかった。たとえば、いわゆるイタリア料理なんてものはどこにも存在しない。都市国家が乱立した頃を起源に、地方によって様々な料理があって、隣同士の地域でもまるで形の違うパスタを好んだりする。北と南とではもはやパスタの違いくらいでは済まされず、まるで別の国の料理になってしまう。一般的にヨーロッパは現代へと至る国家輪郭の成立が遅く、現在の国境と実際の社会の差異に戸惑うことも多い。けれどもそのこと自体が多種多様な文化や制度を産むことになって、それぞれの国や地域に特有の魅力を付与してきたということもできる。
それは産業面でも同だ。イタリアの自動車産業は北部を中心に発展した。トリノ(フィアット、ランチア)やミラノ(アルファロメオ)だ。
けれどもその一方でエミリア・ロマーニャ州を中心として高性能車ブランドが勃興する。マセラティ、フェラーリ、ランボルギーニ……。ポー川流域に広がるこの州は豊穣な土地柄で、古くから農業が盛んだった。パルメザンチーズや生ハムが特産品だ。農業が盛んであったということは、それだけ裕福であったことを意味する。そして農業の発展そのものは農業用機械の進歩に支えられていた。つまりイタリア有数の裕福な地域に高度な機械産業が芽生えたのだ。そこに20世紀最大の工業製品である「自動車」が現れた。クルマと金、技術が揃えばそれは必然的に競争へとつながる。こうしてモデナやボローニャ周辺ではスーパーカーブランド誕生の条件が揃った。
一方、北部のトリノやミラノではファッション産業と同様のデザインハウスが頭角を表していた。その昔は馬車の車体製造と装飾を担当した工房=カロッツェリアが、今度は自動車製造という新たな波に乗って台頭したのだ。1970年代にかけて、ベルトーネやピニンファリーナといった車体製造もできるデザインハウスがもてはやされ、彼らは時代をつねに先取りしたスタイルを提案し続けた。新しく、美しいこと。それが彼らのレゾンデトル(=存在証明)だったからだ。
かくしてイタリアは他の自動車立国、とくに機能重視のドイツとは違う方向性を得た。そしてそれはイタリア人のライフスタイルにも当然、合致したものだった。
彼らは基本的に家族重視であり、宗教的であり、保守的なライフスタイルを好む。変わらぬ日々を黙々と営む。それゆえ、日常に彩りが必要だった。そこでデザインに注目する。食器やテキスタイル、ファッションへのこだわりが生まれ、それはやがてバイクやクルマといった新しい生活パートナーにも求められていく。イタリアのクルマはかっこいい、もしくはユニークだ。そんな評価が確立していった。
もちろんイタリアのすべてがかっこいいわけではない。かっこよくないコトもそれなりにある。けれどもそれらを上回る美が多数存在する。歴史的な建造物や美術や音楽といった文化遺産の数々を見ればそれは明らかだろう。
要するにイタリア人は「変わらぬ人生を楽しむ術に長けている」というわけだ。そんなお国柄だから、スーパーカーやスポーツカーでなくても、単なる実用車がすでに個性に溢れている。しかも、運転して楽しい。会社への行き帰りからバカンスの長距離ドライブまで、運転そのものに人生を感じることができるクルマなんてそうそうない。
筆者が最も大切にしている愛車は1971年式のフィアット・ヌォーヴァ500(チンクェチェント)だ。丸餅のような形に必要最小限の機能と性能を盛り込んだ、イタリアを代表する名実用車である。
最もプリミティヴなクルマでありながら運転のすべてが詰まっていることに驚く。スムーズかつ速やかに走らせようとすれば、正確なアクセルコントロールとギアチェンジ、ハンドル操作が求められる。だから何年乗っても飽きない。乗るたびに何か発見がある。きっとイタリア人だったらそうはならない。私がイタリア人でないから、そこに日本車にはないものを発見し、面白がっている。これは外国製自動車に乗る際の楽しみというものだが、イタリア車はそれが顕著だ。
チンクェチェントを駆っているときは、すべてを忘れて運転に夢中になっている。その「一瞬の生」を存分に楽しんでいる。まるでイタリア人になった気分で。