1980年から1999年までの20年間――この期間こそが「日本車が日本の地で最も輝いていた時代」と紹介をして過言でないように思う。
昨今のように、安全や環境に対する様々な規制が厳しくなく、自由なアイデアやテクノロジーを活かしたクルマづくりをストレートに出来たなど、輝いた理由はいくつか思い当たる。とはいえ、際たる要因はグローバル化がさほど進んでおらず、多くの日本車が日本のユーザーに支持されることを考えたクルマづくりを行うことが出来ていたからに他ならないだろう。
クルマは今ほどコモディティ化が進んでおらず、ユーザーの多くもクルマに対して大きな夢を抱いていたことがその背景にあった。結果、その頃に生まれたクルマには、ルックスも性能も開発陣が知恵を振り絞って誕生させたことを実感する熱気が宿っていた。
1980年代の先陣を切るように登場した初代トヨタ・ソアラ(1981年デビュー)は、まさにそんな1台だった。新開発の2.8リッターDOHCエンジンを積み、贅を尽くした装備を満載した優雅な2ドアクーペというキャラクターは、当時の日本車の常識を遥かに超越した存在。一般のサラリーマンにはおいそれとは手の届きそうにない価格を含め、たちまち羨望の的になった。
そんなラグジュアリーなスペシャルティモデルに驚いたと思ったら、その翌々年の1983年に登場したホンダ・シティターボⅡにも違う意味で驚かされた。
前年にデビューしたシティ・ターボの、到底前2輪では吸収出来ないパワーに驚嘆したのもつかの間、今度は短いフードに設けられた大きなパルジやこれ見よがしなまでのオーバーフェンダーなど、それまで日本では到底許されないと思われていた過激なルックスを実現させたのだ。過激なスタイリングに心底ビックリしたことは忘れられない。
走行性能の面で新たな境地を開拓した思えるモデルも数々存在をした。
例えば、カローラのセダン系が1983年にパワーユニットを横向き搭載するFFレイアウト化されたことを巧みに活用し、そのコンポーネンツをシート背後に移設してミッドシップの2シーター・レイアウトとした1984年デビューの初代MR2は、「エンジンを積む位置を変えるだけでこんなにシャープに走るのか」と驚かされた。また1989年に登場のR32型スカイラインGT-Rや1990年デビューのホンダNSXの欧州製スーパースポーツに負けない走行性能にも、「ついに日本車がここまで来たか」という感慨を受けた。
その後も、記憶と印象に残るモデルは誕生をしているものの、時代の変化とともに数を減らし、「日本車を代表するのがミニバンとKカー」になって久しい昨今では、すっかりご無沙汰という事実には、正直寂しい思いが一杯である。