【CD取材ノート】「1980-1999」毎日が新鮮だった。この時代に学んだ操縦法が、いまもボクのバイブルである! by 桂伸一

R32レースすべてが新鮮。初の新車はワンダー・シビックだった

 1980 年代は、何もかもが新鮮で輝いていた。思い返すと、世のなか右も左も判っちゃいないが、一人前のつもりの20代なかばの若造がレーサーを志望しながら自動車雑誌編集部で働き始めた頃、それはそれは楽しかった! 出たばかりの新型モデルのプレスカー、いわゆる広報車を引き取りに行く作業だけで心が躍った。

ルーチェ

シビック

 当時の愛車はレーシングカートを搭載する為にワゴンだった。どうせならパワフルなのが欲しいのでルーチェ・ロータリーワゴンにした。本気で速かったがガソリンを喰うのも早く燃費はリッター3km、ガソリン代が安かったので気にもしなかった。

 初の新車はテールゲートのデザインにヒト目惚れしたワンダー・シビック。購入から数ヶ月でホンダDOHC復活の、シビックSiの試乗会に鈴鹿へ。あまりの違いに愕然とした。シビックはその後ワンメイクレースにファルケンカラーで参戦、全日本ツーリングカー選手権、通称グループAに参戦して、優れたハンドリングのFWDスポーツの個人的なひとつの指針になった。

MR2

フェアレディZ

 在籍した編集部はチューニング媒体。バブルで予算も潤沢だったのだろう、国産初のミドシップスポーツMR2を最高速仕様にしたり、ホンダCR-X、AE86カローラレビン、フェアレディ300ZXと立て続けに購入。それらの車輌担当でもあったが、CR-Xはほぼ遊び、AE86はターボ化。300ZXは新車購入直後に全バラ。「もったいない」・・と、読者を言わせたら、もうそれで買った価値はある。と誌面作りと編集費の使い方を学ぶが、現状の世の流れにはまったく役立たず。

R32型GT-Rで培った操縦方法が、いまでもボクのバイブル

 レースはその後フォーミュラカーにスイッチ。つまり右にシフトレバーが生える。国産の左シフト車はいつでも乗れるが右シフト、つまり輸入車にはなかなか乗るチャンスがない。と言う事で愛車を変更。先輩ジャーナリストからはゴルフGTIを薦められるも、プジョー205GTIに一目惚れして愛車に。フランスのある意味ネコ脚、FWDの操縦性や乗り味の違いに新たな基準を得た。

ロードスター

NSX

 1990年代に入ると日本は世界に多大な影響を与える名車を送り出す。軽量命のユーノスロードスター。静寂のセルシオ。オールアルミ製スーパーカーのNSX。スーパー4WDでレースに勝つ為に生まれたGT-R (R32)が続々デビュー。業界人もNSXやGT-Rを多くが購入。個人的にもこのいずれかを買うべきだったのだが、GT-Rはレース活動で乗るから愛車のようなもの。NSXを、と思った矢先に、いつかはメルセデスと思っていた190E 2.516Vエボリューション2の話が舞い込み、それを愛車に。500台限定のレース仕様のベース車輌で、ドイツのクルマ造りの真髄を味わった。

レガシィ

GT-R

 初代レガシィもレースカーとして数年を共にするが、これほど良く曲がる4WDも初めてだった。同じ4WDでもGT-Rは、さらにパワフルで速く、操縦性はアンダーステアをどう抑えて乗りこなすかが課題。そこで培った操縦方法はいまだに役立つ、桂にとってクルマのバイブルが、この時代のクルマたちである。

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