免許を取得したばかりの頃、1980年代半ばといえば“ハイソカーブーム”の真っ只中。マークII 3兄弟だけで年間何10万台と売れていた時代だ。みんなこぞってスーパーホワイトのセダンやクーペに乗りたがった。なぜか白いクルマがその頃から苦手で、ワクワクしないから今も好きじゃない。最初に買ったセリカXXは赤黒ツートンの色が決め手だったし、その次の7thスカイラインGTSクーペは迷うことなく黒・ガンメタツートンだった。三つ子の魂百まで。ツートンカラー好きも未だにそうだ。
クルマ人生観がガラリと変わった瞬間がある。それは社会人になってから黒いスカイラインでは“ナウなオトナ”じゃないと思い始めて買い換えたVWゴルフ2だった。加速性能はもちろん機能や装備的にもR31に比べてはっきりと劣っていた。にもかかわらず、気に入った。骨格が違った。足腰が違った。体躯が違った。基礎から違うと若造なりに感じた。これが欧州車の底力なんだと心から痺れた。そこからだ。小さい頃の夢を現実のものとして再び温め始めたのは。
ゴルフを買ってしばらくして仕事の面でも環境が激変した。希望した中古車メディア編集部への異動が叶ったのだ。おりしも国産車大飛躍の時代。スカイラインでいえば8代目のR32時代で、16年ぶりにGT-Rも復活していた。Z32があった。FDがあった。NA1があった。R31とR32との間にはまさに隔世の感があった。国産車の性能が格段に進歩したのはバブルのもたらした数少ない恩恵の一つだ。
なかでもBNR32、スカイラインGT-Rの人気は凄まじかった。表紙にGT-Rの文字が踊るだけで、雑誌の部数が伸びた。読者を飽きさせることなくBNR32の特集を作り続けることがいつしか自分の編集者テーマになる。
必然的に自らもゾッコンに。他の国産スポーツカーも欧州車熱を少し冷ましてくれるほど魅力があったけれど、BNR32は別格だった。実は編集部に異動して最初に買ったクルマはホンダ・ビートだったけれど、それは予算あってのこと。ヨーロッパのスポーツカーとともにスカイラインGT-Rは“欲しいクルマリスト”の上位につねにランクされることになった。
自分で買えないにしても、自動車メディアにいれば編集部で買うという手がある。私の在籍していたメディアでは過去にフェラーリやポルシェを長期リポート車として購入した過去があった。うまくすればGT-Rもいけると画策した。狙い通りになったのはBNR32最後のモデル、Vスペック2がデビューしたときだった。
そこからしばらく夢にまでみたR32との蜜月が始まった。すでに我が家には古いフェラーリがやってきていたけれど、普段乗りは断然シルバーのVスペ2だ。新車をノーマルで乗り続けていても連載企画にならないので新興チューナーとタイアップし400psくらいのライトチューニングも施した。そしてサーキット走行なども楽しんだ。先生は桂伸一さんだった。