人はクルマに乗ると、どうして音楽を聴きたくなるのだろうか。音楽はなにごとにも付き物だが、とくにクルマに乗ったときに聴きたくなるように感じる。根拠はないが、なにか人間の本能的なものと関係しているのかもしれない。音楽が大好きな人も、それほどでもない人も同様なのだから、そう考えてしまう。
クルマは移動するための手段であり、走るプライベート空間である。ひとりで乗っているときはまさしく音楽がパートナー。運転することと並行してできる、もっとも楽しい行為が、音楽を聴くことにほかならない。
多人数で乗るときも、音楽があると雰囲気がよくなる。流れる音楽をネタに話が盛り上がることは珍しくない。クルマと音楽は親和性が高い。この考えに、異論を挟む人は少ないのではないだろうか。 音響機器もクルマで使うために進化してきた側面が大きい。できるだけよい音質で楽しみたいのは自然の欲求である。だから、その点でもよりよいものが求められる。
クルマでの音楽の楽しみ方は、年齢や好みによって大なり小なり違う。現在はデジタル化が進んで、新旧を問わず好みのコンテンツが簡単に入手できるようになった。それを車内で快適に楽しめるのはうれしい。
50代の筆者がクルマで音楽を楽しむことを始めたのは1980年代の終盤。もっぱらカセットテープとラジオがメインだった。当時は好みの曲をどういう順番でと悩みながら編集したカセットテープを聴く機会が圧倒的に多かった。周囲も同様だったように記憶している。
1980年代終盤は、ちょうどCDの普及が始まった頃で、初の愛車にはCDデッキも付いていた。だが、あまり使っていなかった。当時はよく音が飛んだのと、CDのようにデリケートなものをクルマに持ち込むという行為にどうも抵抗があったからだ。CDを入手してもカセットテープにダビングしてクルマで聴くようにしていた。クルマで音楽を聴く上では、そうした利便性も大事だった。
ひとりで乗るときには、ラジオを聴く機会も多かった。ラジオだと流行りの曲をいちはやく知ることができ、音楽に限らず新しい情報を得ることもできた。ラジオ局によってかかる曲の傾向は違っていた。当時はFM横浜の選曲がなんとなく好みに合っていたので、都内に住んでいたがFM横浜を聴くことが多かったように思う。
ラジオで好きな曲がかかるとテンションが上がった。その曲のCDは所有していて、自宅でいくらでも聴けるのに、なぜかドライブの最中だとやけに気分が盛り上がったのを思い出す。
懐かしいナンバーを聴くと当時を思い出す
音楽には大きな力を感じる
1980年代はMTVでランクインしている洋楽をよく聴いた。1990年代には一転してJ-POPに親しんだ。懐かしいナンバーを耳にすると、その曲が流行っていた当時のことを鮮明に思い出す。音楽の力はものすごいなと思う。
2000年をすぎてから、だんだん音楽に没頭することが少なくなってきたように感じている。それは自分の生活で楽しいことが少なくなったからだろうか。そんなこともないはずだが……(笑) 。
21世紀に入ってからは音楽メディアも一段と進化し、デジタル化が急速に進んだ。以前に比べ、手間とお金をかけずに音楽が楽しめるようになった。それはクルマで音楽を楽しむうえでも絶大な恩恵をもたらしたように思う。
音質もグッと向上した。デジタルの時代になって、かつてのアナログの時代ほど、価格差に起因するカーオーディオのクオリティ差はなくなった。これは大きなメリットだ。 思うに音楽はひとつひとつが「作品」である。作り手が聴かせたかったものをちゃんと引き出せるだけの環境を整えるのは、聴く側のマナーかもしれない。それなりの性能を持った機器で再生するのが好ましいに違いない。
最近では、車種に合わせて専用開発されたオーディオシステムを、適正価格で選べるケースが増えている。クルマは音楽をじっくり楽しめる空間でもあり、よい音楽はドライブを引き立ててくれる。そこに価値を見出して投資するのは、大いに有意義なことだと思える。
グッドサウンドとともにインフォテイメントも大切な要素である。メーカーによってやっていること、できていることに差があるが、最先端のものはすでに相当なことを実現している。「クルマと対話する」という時代がこんなに早く到来するとは思っていなかった。進化と移り変わりが早すぎて、個人的にはついていくのがせいいっぱい、というのが正直な感想である。
現在は、ユーザーが出かける場所を決めていなくても、クルマ側が考えて、最適な場所を紹介してくれるという機能まですでにある。今後も全体的に底上げがされ、利便性と快適性はどんどん向上していくだろう。予想外のことが可能になる時代が待っていそうだ。