2024年10月、欧州最大の自動車メーカー・フォルクスワーゲン(VW)が、BEV不振や基幹部門の低収益性、中国事業の低迷を理由に、国内10カ所の工場の内少なくとも3カ所を閉鎖し、数万人の従業員を解雇する方針を明らかにした。VWが国内工場を閉鎖したことは一度もない。中長期的にはBEVシフトは続くが、内燃機関のクルマとBEVが併存する時期は、当初の予想よりも長くなる見通しだ。
2045年までにカーボンニュートラルの達成を目指すドイツ政府は、2030年までにドイツで1500万台のBEVを普及させるという目標を持っている。BEVシフトを最も積極的に進めてきたのが、VWだった。BMWやメルセデス・ベンツは、当初燃料電池など他の動力源にも含みを持たせていたが、VWの大株主・ニーダーザクセン州政府も、BEVシフトを要求した。その結果、VWはハイブリッド車などをないがしろにして、BEVシフトに猛進した。同社は「2030年までに欧州で売る新車の80%をBEVにする。北米で売る新車の55%をBEVにする」という目標を発表した。
BEVは政治的な理由で生まれた市場だ。欧州勢は電池を内製化していないので、価格も高い。VWは2026年まで、価格が2万ユーロ(320万円・1ユーロ=160円換算)台のBEVを発売できない。つまりBEVは、補助金なしには普及しない。
このためドイツ政府は2016年からBEVとプラグイン・ハイブリッド車(PHEV)に対する補助金の支給を開始。2020年には、政府補助金を倍増させた。この結果、価格が4万ユーロ以下のBEVを買う市民は、政府と企業から最高9000ユーロ(144万円)の補助金を受け取ることができた。
この政策はドイツで一時的にBEVブームを引き起こした。2019年にドイツで新車として登録されたBEVの数は約6万台だったが、2023年には約52万台となった。2019年の新車登録台数にBEVが占める比率は1.8%だったが、2023年には18.4%に増えた。
だが政府は財政難を理由に、去年12月に突然補助金を廃止した。去年12月のBEVの新規登録台数は約5万台だったが、2024年1月には約2万台に激減した。逆に内燃機関のクルマとハイブリッド車の新規登録台数が増えた。
VWは多額の投資を行って、エムデンとツヴィッカウの2工場をBEVだけを生産する工場に改装した。だがこの2工場はBEV不振のために稼働率が低下している。ドイツで使われている約4900万台のクルマの内、BEVの比率は約3%にすぎない。
ドイツの保険会社HUKコブルクの調査によると、同社の自動車保険に加入しているドライバーの内、BEVを内燃機関のクルマに買い替えた人の比率は、2022年には17.5%だったが、今年9月には34%に増えた。アレンスバッハ人口動態研究所の世論調査結果によると、「BEVを買いたい」と答えた人の比率は24%だったが、今年4月には17%に減った。ドイツ自動車工業会(VDA)は、今年のドイツのBEVの新規登録台数が、去年の約52万台よりも25%少ない約39万台になると予想する。
市民のBEV離れの原因はいくつかある。一つは高価格だ。自動車市場の研究機関・ドイツ自動車管理センター(CAM)によると、BEVの車種は、2022年の78車種から2023年には105車種に増えたが、価格が3万ユーロ(480万円)以下のBEVは3車種だけだった。価格が割安のBYDなど中国企業のBEVのドイツのBEV市場でのシェアはまだ4.5%にすぎない。しかも関税の引き上げで中国勢は価格競争力を失いつつある。
ドイツの中古車市場には、状態が良い内燃機関車が多い。レンタカーは約5万km走ると、ほぼ新車同然の状態で中古車市場に落ちて来る。だが現在中古車市場で売られているクルマの内、BEVの比率は6%と非常に小さい。
また公共充電器の数が今年9月の時点で約15万基と少ないことも、BEV普及を阻んでいる。政府の「2030年までに100万基の公共充電器を設置する」という目標が達成される見込みは薄い。しかも公共充電器の内、急速充電器は21%と少ない。
先日ドイツからスペインにBEVで旅行した友人は、「高速道路の休憩所の急速充電器で充電すると、電力価格が、通常の充電器の3倍だった」と語り、近くBEVを内燃機関のクルマに買い替える。彼の友人A氏はテスラでチューリヒからミュンヘンに戻る途中に、高速道路に雪が積もって長い渋滞に巻き込まれた。暖房を使うと、電池の電力量が見る見る内に下がった。このためA氏は、高速道路を降りてテスラを乗り捨て、電車でミュンヘンに戻った。クルマは後日引き取りに戻った。
ドイツではクルマを1日約10時間運転して、イタリアやクロアチアなどに旅行する人が多い。ドイツで使っているスマホのアプリで、外国でも充電器を起動させられるかどうかなど、不安が残る。筆者が2022年に行ったイタリア中部の農村には、公共充電器はなかった。ガソリンやディーゼル用の軽油ならば、どんなに辺鄙な村でも給油所がある。
一方、欧州では近年地球温暖化と気候変動が強まっている。大規模な洪水や森林火災、旱魃の頻度が増えている。CO2排出量の削減努力は避けられない。欧州の自動車業界では、「モビリティー転換の中心がBEVであることは間違いない。だがBEVが路上を走るクルマの大半を占めるのは、まだかなり先のことだ」という見方が有力だ。ドイツの論壇では「VWのBEV最重視路線は失敗。トヨタの戦略が正しかった」という見方が出ている。
【プロフィール】
熊谷 徹/くまがい とおる
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からはフリージャーナリストとし てドイツ・ミュンヘン市に在住。安全保障、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「偽りの帝国・VW排ガス不正事件の闇」(文藝春秋)など多数。